政治・行政の調査報道サイト|HUNTER(ハンター)

政治行政社会論運営団体
僭越ながら:論

横浜・踏切事故について一言
― 置き去りにされる「非常ボタン」の重要性 ―

2013年10月 8日 10:30

 今月1日午前、横浜市緑区のJR横浜線鴨居-中山駅間の踏切で、線路上に倒れていた男性を助けようとした女性が電車にはねられ死亡した。助けられた男性はケガを負ったが、命に別状はないという。
 亡くなった女性の通夜と告別式は、それぞれ6日と7日に行われたが、一連の報道や政府の対応には違和感を禁じ得ない。
 女性の行動が称えられることには何の異議もない。しかし、亡くなった女性に他に道はなかったのか―そうした議論はなぜ起きないのだろう。
(写真はJR九州の踏切に設置された「非常ボタン」)

自己犠牲
 亡くなった女性は、父親が運転する乗用車の助手席に座っていたとされる。踏み切りで電車の通過を待っていた時、線路上に横たわる男性に気づき、「間に合わない」と制止する父親を残し、線路上に走ったという。男性は、レールの間に移動させてもらったためケガだけで済んだということらしいが、助けた側が犠牲になるという不幸な結果となった。自らの犠牲をいとわぬ女性の行動に、賞賛が集まるのは当然のことだろう。

 平成13年に、山手線新大久保駅のプラットホームで起きた出来事を思い出す。この時は、酔って転落した男性を助けようとして、2人の男性が線路に飛び降り、進入してきた電車にはねられ、3人とも亡くなるという痛ましい事態となった。酔客とともに犠牲になったのは、日本人カメラマンと韓国籍の青年。当時の報道も、二人の犠牲的精神を称えたものだ。

 横浜の事故で亡くなった女性の通夜。参列した菅義偉官房長官が、安倍晋三首相からの感謝状を遺族に贈った。人命救助の功績に対し、紅綬褒章も授与されるという。パフォーマンス好きの安倍政権らしい対応だ。

違和感
 批判覚悟で述べると、一連の報道や政府の姿勢に、かなり違和感を覚える。たしかに、我が身を犠牲にして他者を助ける行為は尊い。それができないから、多くの人に感動を与えているという側面もあるだろう。しかし、自己犠牲を賛美し過ぎると、危急時に線路上に身を晒すことのできない人間が、非難されることになりはしないか。ことさら自己犠牲をあおることは、決して正しいことではあるまい。なぜなら、踏切内でのトラブルを発見した場合、はじめになすべきことが他にあるからだ。

「非常ボタン」
 今回の事故の報道で一番気になるのは、列車を止めるために用意されている手段が見落とされがちになっていることだ。踏切には、列車のトラブルや人が線路内に立ち入り出られなくなった時のために「非常ボタン」が設置されている。これを押せば、電車や運転指令室に緊急事態が伝わる仕組みだ。非常ボタンが押されれば、列車にブレーキがかかり、停車させることが可能となる。

 鉄道会社によれば、通常、列車は踏切の警報機が鳴りはじめてから約30秒、遮断機が下がってから約15秒ほどで通過するという。非常ボタンが押され、列車のブレーキが作動すれば、列車通過までの時間が延びることになる。ボタンを押すのが早ければ、事故を未然に防ぐことも不可能ではあるまい。残念ながら、今回の横浜の事故は遮断機が降りた後に亡くなった女性が踏切内に入っており、現状を見ていた別の人が非常ボタンを押し、列車にブレーキはかかったものの、間に合わなかったという。“女性が、真っ先に非常ボタンを押していたら”、そう考えると複雑な心境になる。

 問題は、この「非常ボタン」がそれほど認知されていないこと。鉄道各社もそれほど広報に力を入れているとは思えない。例えば、下はJR九州のある踏切だが、一方の側の「非常ボタン」は見えやすいところに設置されているが(写真左)、反対方向側のそれは警報板の陰になって見えにくくなっている(写真右)。よほど気をつけていなければ、非常ボタンの存在には気付かないだろう。これでは万全の対策とは言えまい。

見えやすい非常ボタン 見えにくい非常ボタン

 大手メディアの報道姿勢はさらにひどい。事故の模様や自らを犠牲に人命を救おうとしたことについては大きく扱うが、この「非常ボタン」の重要性については見向きもしていない。悲劇を繰り返さないために報じるべきは、非常ボタンを押すことの大切さであって、ことさら事故を「美談」に仕立て、自己犠牲を推奨するような必要はあるまい。
 大手メディアや政府は、鉄道トラブルにあたってどう対処すべきか、まずはしっかりと啓蒙してもらいたい。

余談
 余談をひとつ。先月、取材で訪れた中央線吉祥寺駅のプラットホームで、思わぬ場面に遭遇した。ご婦人の転落事故である。なんの躊躇もなく飛び降りてご婦人を助けたのは、中年の日本人男性だった。自己犠牲を厭わず、線路上に飛び降りた行為に、横浜の事故で亡くなった女性との違いはない。この時は、居合わせた乗客がいち早く「列車非常停止ボタン」を押している。大手メディアによって報道されることがなかった事案だが、横浜、吉祥寺それぞれの事故の扱い方に、釈然としないものが残った。



【関連記事】
ワンショット
 永田町にある議員会館の地下売店には、歴代首相の似顔絵が入...
過去のワンショットはこちら▼
調査報道サイト ハンター
ページの一番上に戻る▲