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僭越ながら:論

新聞は面白いか?(下) ― 処方箋はあるが・・・・

2013年8月29日 07:30

 「新聞は面白いか?」―昨日、この問いに対する現場の記者たちの思いをそのまま伝えた。記事に対する反響は大きく、たくさんのご意見メールが送られて来ている。
 「熱い思いを持った記者がいることは分かる。しかし、そうした記者の姿勢が、紙面から伝わってこないのはなぜでしょうか?どの新聞も問題点が分かっていて解決されないということなら、病状はかなり深刻ですよね」、「読者のニーズに応えきれない状況があるのは事実。言い訳は通用しない」。
 厳しい批判がある一方、「少しホッとした。前向きに新聞を変えようとしている記者さんがいることは救いだ。記事に期待したい」、「頑張れ新聞。さすがと思わせる記事を望みたい」といった新聞への激励メールも少なくない。読者もまた、新聞に期待を寄せていることに変わりはないのだ。
 おせっかい企画の2回目は、中堅・若手を指導する立場にある大先輩たちの、一味違った意見を紹介してみたい。

【全国紙記者】
 新聞はここ10年で大きく変わったと思います。
 読者の高齢化に合わせて字を大きくし、その分、情報量を減らしてきました。インターネットの台頭による広告料収入の低下が経営を直撃し、記者も大幅に減らされています。社会部の場合、日々の発生モノ対応で疲弊し、独自のニュースを掘り起こす余裕が失われています。

 ただ、速報性やニュースの携帯性という面では新聞はテレビやスマホ(インターネット)にはかないません。やはり、新聞の存在価値は、破壊力のある特だね、考える材料を提供する独自だねにあると思います。人員を減らすだけでいいのか再考し、調査報道を充実させる。例えば、1面は365日毎日調査報道による独自だねを載せるなどの「先鋭化」をしないと、新聞は古びたメディアとして衰退していくしかないのではないか、と思っています。

【全国紙記者】
―新聞は面白いか
 読者の立場に立てば、近年、カラーページが増え、アイドルをたびたび登場させるなど大衆を意識した紙面作りで、面白いといえるかもしれない。テレビコマーシャルにしても、朝日はSMAPの稲垣吾郎、毎日はAKBの大島優子、読売はHKTを起用しているが、読者離れに歯止めがかからない。

 紙面を作る側からすれば、日々面白い紙面を心がけてはいる。が、正直言ってつまらない。紙面から緊張感が伝わってこないからだ。なぜ伝わらないか。取材する側とされる側に、張り詰めるような緊張感がないからだ。では、なぜ緊張感がないのか。それには構造的ともいえる、さまざまな事情、問題がある。「現状を良しとする」側と「打破すべし」とする側のせめぎ合いもあるにはあるが、後者は各社とも少数派であり、つまらない新聞紙面が日々刷り上がっているといえる。

―事情、問題とは
 記者の取材力不足に加え、マインドの低下が大きい。どうしていいか分からない記者が多いが、デスク、部長クラスが力量不足で、的確なアドバイスを欠いたまま、日々流しているという感じだろう。

 日本社会全体が、カリスマ的な指導者がいないまま、小さくまとまっている。それに加え、比較的平穏な日々が記者を小さくしているともいえる。
 事件、事故が記者を鍛えるというが、その事件がない。暴力団事件をはじめ、警察の未解決事件が余りにも多く、事件記者の間でも盛り上がり、高揚感がない。事件がないから、場数もない。経験がないから、冒険もできない。斜陽産業たる新聞の経営上、大きな冒険もできない。ないないづくしの日々にあって、記者、デスクが育たず、つまらない新聞から脱せなくなっている。

【全国紙記者】
 「本当のこと」を書くかどうか。その一点に尽きる。私はそう思っている。
 書かれていることが事実であるのは必要条件に過ぎない。取材対象がそう言っているのは事実であっても、本当にそうなのか。別の立場に立ってみて、それを検証する。現場へ行き、人に会い、断片的な事実を拾い集め、見えてきた真実を伝えることができて、初めて十分な記事と言える。ごく当たり前のことだが、これがなかなか難しい。新聞が面白くないのは、これを尽くしていないことが大きいと私は考える。

 なぜ尽くさないのか。一つには、記者の能力不足や怠慢がある。分かったような気になってやり過ごす。忙しさにかまけて、空振りを恐れる。恥をさらせば、そんな現実は確かにある。

 一方で、社会の変化も大きいと感じる。情報の発信は誰でもできるようになった。取材対象は黙っていない。広報戦略を練り、情報を管理する。攻防はこの10年で厳しさを増していると感じている。

 だから、現場の実感で言えば、記者は日々、勝負している。取材する側とされる側、どちらの言い分が読者の支持を得られるか。そういう勝負だ。勝っていい記事を書けることもあれば、負けてつまらない記事になることもあり、紙面に載せられないまま次の機会をうかがうこともある。

 この勝負に勝つために、もう一つ、意識している勝負がある。そうやって書いた記事が読者に読まれるかどうか、という勝負だ。記事は読まれないと意味がない。取材を受ける側にしてみれば、読者のいない記者など相手する必要はない。無視すればいい。一介の記者が取材対象に迫るとき、その迫力を支えるのは、記事を待つ読者の存在だ。

 だから、二つの勝負はつながっている。いい記事を書けば読者がつき、読者がいればいい記事を書ける。そのために本当のことを書きたいと思っている。

 記者と読者の関係は単純だ。記者は、読者が行けない現場へ行き、見られないものを見て、聞けない話を聞き、本当のことを書く。能力や時間やお金を費やせば、誰でも記者になれる現代だからこそ、新聞記者はそんな基本に立ち返ることが大切だと思う。ごまかしはきかない。

【全国紙記者】
 「新聞が面白くない」と言われる。理由は簡単である。「『面白くない記事』を載せているから」。それに尽きる。
 では、どうしたらよいか。これも理由は簡単である。「面白い記事」を書けばいい。「面白い記事」とは何か。独自に掘り起こした記事である。調査報道である。

 「脱・記者クラブ」が言われて久しい。だが、現実はそうはなっていない。難しいのも新聞社にいると分かる。だが、そこに、お上からの「垂れ流し」の記事はないか、自問自答しているのか。百歩譲って発表を受け入れたとしても、その背景を時間のある限り、締め切り時間のぎりぎりまで取材したか。記者会見はネット上で流れている時代である。その記者会見と発表記事を読者に比べられて、うならせる記事が書けたか、新聞記者ならそんな錯誤を毎日、やるべきである。

 数歩譲るとしたら、仮に記者クラブに足場を置いたとしても、寝るだけにしたらいい。本当に寝るだけだ。起きたら、現場を回ればいい。このサイトで呼ばれた「ポチ」は餌をもらうが、本物ならば獲物を狙うはずである。獲物を狙っていけば、調査報道に通じるはずである。

 ひと言で「調査報道」と言っても楽ではない。膨大なデータに向かい、足を棒にし、あらん限りの力を振り絞らなければ、行き着かない地である。最近の新聞協会賞はほぼ、調査報道が占めているのは、危機感の表れととらえたい。

 だが、なにも新聞ばかりではない。様々なメディアが同じ道を模索していることもうかがえる。ネット時代になっても、ツイッター、フェイスブックが登場したいまでも、取材手法に大きな変化があるわけではない。現場で、人にあって話を聞き、報道する。その繰り返しの中で、真実は見えてくる。

 餌を「もらうのか」、獲物を「獲得するのか」。そんな簡単な問題を一人一人の記者が常に考えていないと、新聞に未来はない。

【全国紙記者】
 私自身は、新聞は時代の変化に合わせて変わりつつあり、今も面白いと感じる。その変化の速度は新聞社によって異なり、全体として決して早くはないが、着実に対応してきている。

 どう変わってきたかは後述するが、そもそも、「新聞は面白いか」、この問いかけは、いつごろから聞かれるようになったのだろうか。個人的体験からすれば、ネット社会の進展に従って、新聞(業界)人たちが自問する機会が増えてきたように思う。この20年間、ネットの急速な普及と市民側(いわゆる読者と想定されている)からのニュース・言論の発信が拡大してきている。これに、「活字離れ」が相まって、活字メディアの影響力は低下しつつある。言い換えれば、販売部数が減ってきている。

 この状況説明として、「新聞は面白くないから」と、理由の一つに挙げられるケースが増えてきている。
 あるメディアが面白いか、面白くないかという評価は、主観的なもので、その基準は人それぞれ、まさに十人十色だ。ここでは、ひとつの基準として、こう定義したい。
 他のメディアと比較したときに、独自性があり、内容に真実性が高く、その情報を信頼できる。すなわち、読んでみたいという気にさせるかどうか。
 国内外の政治、経済、社会の事象にとどまらず、スポーツ、芸能などあらゆる分野に通じると思う。
 この点から新聞と他のメディアを比べると、速報性では明らかに劣るが、当事者や周辺関係者への直接取材を踏まえた背景説明、歴史的な経緯を踏まえた解説では、十分に優位性を保っている。

 ただ、メディアの形式が紙という性質上、手に取ってもらわなければならない。ネットのように、スマホがあれば、地球上のどこでも情報を入手できるのと比べると、入手の容易さは大きく劣る。テレビもネットからの発信に力を入れつつあり、ワンセグが普及するなど、ネット媒体とほぼ同じ優位性を持ちつつある。
 一方で、新聞は配達制度に頼っているため、家に配られた時点で、ネット・テレビから1日以上も遅れをとることもしばしばだ。

 ここで、冒頭の「新聞は変わってきている」点に触れたい。新聞も遅ればせながら、ネット経由のニュース発信に力を入れつつある。速報性も肩を並べつつあり、「アクセス数の高いニュース」を発信するという感覚を併せ持つ記者が増えてきている。
 情報伝達のルートでは、他メディアと同じラインに立ったと言える。また、そのアクセス数は、他のメディアに引けを取らない。

 ただ、業界的な観点に移すと、「ネットでは稼げない」という評価になる。主要な収入源である広告収入だが、ネット広告は紙媒体と比べると単価が極端に低く、アクセス数(部数)から期待されるほどの利益を生み出さない。
 結局、紙媒体を収入の柱とせざるを得ない。しかし、紙の部数は低減傾向にある。それをもって、「新聞は面白くない」から、部数が落ちる、という論理展開になる。
 要するに、利益を確保するためにニュース=「紙」を売りたいけれど、思うように売れない。その理由は、「面白くないから」となる。

 結論づければ、客観的な「面白さ」は、今も他メディアより優位性を保っている。しかし、自己評価する場合、収益確保の観点からの理由説明として、部数が減る=「面白くない」、となる。こんな構図ではないだろうか。

 社会の変化に伴い、紙媒体がシェアを減らしていく傾向は、今後もさらに進んでいくのは確実。面白いニュース媒体であり続けるのは自明の理だが、「面白くない」と、自虐的に言い続けるのは、そろそろやめた方がいいい。
 市民社会の発展に、健全なメディアが存在する必要性は、歴史が証明している。業界人は「より面白く」を心掛けつつ、メディアの責任を果たし続けることを、肝に銘じるべきだと、自戒を込めて思う。
 もちろん、その評価は、読者=市民が判断する。

《解説》
 本日分の回答を送ってくれたのは、いずれも百戦錬磨のツワモノばかりだ。国内で起きた大きな事件・事故の現場で取材を続けてきた記者や、調査報道の分野で名の知られた記者たちである。

 現状に対する危機感、冷静な分析、記者の在るべき姿、いずれの意見も現場の記者たちの進むべき方向性を示すものだ。処方箋はある。あとは、個々の記者たちのマインドの問題であろう。HUNTERが「ポチ」と呼ぶ権力の飼い犬記者が絶滅することを祈るばかりだ。

 もうひとつ、構造的な問題に正面から向き合うことのできない新聞は、いずれ淘汰されるということも付け加えておきたい。新聞が「面白くない」といわれる原因のひとつに、複数の記者が明記したように、部数減を補うための人員削減がある。そのため肝心の報道がおろそかになっていることに、新聞社幹部は気付くべきだ。

 画一的な紙面づくりも、再考する時期が来ている。「どの新聞も同じ」―多くの読者が抱く不満を、新聞各社は汲み取れていない。見出しの打ち方も、記事の書きようも旧態依然。これではたしかに「面白くない」。新聞の新たな挑戦に期待したい。

 最後に一言。筆者は、機会あるごとに記者たちに問いかけてきた。“あなたが目指すのは新聞社員か、新聞記者か、ジャーナリストか?”―「ジャーナリストだ」と答える記者が増えれば、新聞は間違いなく面白くなるはずだ。



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