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僭越ながら:論

新聞は面白いか?(上)

2013年8月28日 10:15

 「新聞は面白いか?」―この問いに現場の記者たちがどう答えるのか、興味が湧いた。
 新聞の部数が減り続けていることは周知の事実だ。考えられる要因はネットメディアなど種々の媒体の発達。情報を得るための手段が増えたことで、新聞に頼る人が減った。しかし、どうもそれだけとは思えない。

 新聞報道の在り方に不満を漏らす読者は年々増えており、平成23年の東日本大震災発生以降、その傾向は顕著だ。「役所や企業の主張を垂れ流している」、「真相を隠している」、「事件・事故の背景が分からない」といった厳しい批判も目立つ。新聞の報道内容そのものに切れ味がなくなったと感じている読者も少なくあるまい。
 紙面の大半を、行政や企業の発表ものが埋め尽くす現状に、業を煮やした読者が逃げ出しているという見方もできよう。つまりは「面白くない」のである。部数減に拍車がかかる。

 が、部数が減っているとはいえ、新聞の情報発信力は大きい。読売、朝日など13紙が共同で行った世論調査では、参院選で、7割の人が「新聞記事」を投票先を決める際の参考にしたと回答している。ネット選挙が解禁になった今も、新聞への信頼は、なお厚い。

 その新聞が「面白くない」となれば、読者は救われない。日ごろ新聞の悪口ばかり書き立てているHUNTERだが、じつは新聞に対する愛着は人一倍。インクの臭いがなければ朝は始まらないし、スクープ記事を目にすれば心が躍る。政治から社会問題、文化、スポーツ、芸能と新聞の守備範囲は広く、一通り目を通しさえすれば、世の中の動きがある程度分かるのも事実。テレビとは違った重みを、新聞は持っているのである。新聞が廃れる世の中など、あってはならない。

 それでは、現場の記者たちは、どう感じているのだろう。顔見知りの記者たちに話を聞き、厚かましくも回答まで頼んだ。新聞の未来に期待を持ってもいいのか、確かめてみたいというおせっかいな企画である。
 記者達が寄せてくれた回答を2回に分け、足し引きなしに記者たちの思いを伝える。

【地方紙記者】
 Q:新聞は面白いか?
 A:残念ながら、全体的に面白いメディアとはなっていない。「新聞」という言葉の語源を考えれば、面白いメディアであらねばならないと思うが、 へぇ~、なるほど~と読者を唸らせる記事は、皆無ではないが少ないのが現状だろう。

 Q:なぜか?
 A:発表ものや、特ダネといっても1日か2日待てば周知の事実となってしまうような前打ちものが多い。速報性と広域性を兼ね備えたインターネット メディアが存在していなかった時代ならまだしも、ほとんどの読者は新聞を一紙しか購読しておらず、行政機関も自前の広報手段を持っている。同業他社との競争が、切磋琢磨ではなく業界内の自己満足に陥ってしまっている。

 Q:どうあらねばいけないか?
 A:宅配制が中心の日本の新聞は、通信教育的な側面を持つ。読者に代わって時間とお金を使い、発表されないニュース、隠されている事実、事件の背景にあるものを掘り起こす調査報道を主体にすることが新聞が生き残る道だと考える。

【地方紙記者】
 新聞は、面白いと思う日もあれば、そうではない日もあると感じます。読まれる新聞にするためには、読者の喜怒哀楽に訴えかけることができる記事を掲載することだと思います。そのためには、公的機関や企業の理屈をそのまま記事にするのではなく、調査報道を基本にした取材姿勢が必要だと思います。

【全国紙記者】
 新聞が面白いか面白くないかについては、面白い日もあれば、おもしろくない日もある。ただ、面白くない日(読む記事が少ない)は10年前より増えていると思う。

 その理由については、不景気で採用人数が減っているのに、デジタルや教育など新規部門に記者が割かれ、現場の記者の数が減っているから。数が減れば、そりゃ面白くて、じっくり取材できる記事が出てくる頻度は少なくなるでしょうからね。

【地方紙記者】
 残念ながら「面白くない」と思っています。
 いろいろな理由がありますが、一番気になっているのは連載などの大型記事です。実際に現場で起きている事象を追い、単発で書ききれないので連載にするというのではなく、あらかじめ記者やデスクが頭の中でコンテを考え、それに合う材料を集めてくるという、本末転倒のような取材手法が常態化していると感じます。新聞の売りであるはずの連載が、どこか現場の実情とかけ離れ、予定調和になって魅力を失っているのではないでしょうか。

【地方紙記者】
 Q:新聞は面白いか。
 A:どちらかと言えば面白くない。

 Q:理由は。
 A:「議論を尽くせ」など、賛否を明確にしないあいまいな態度や、紋切り袴型の表現・企画が増えているため。メディアの選択肢が増えた現在、国民がメディアを吟味するリテラシーは格段に上がっている。

 Q:あるべき新聞像は。
 A:かつてのリクルート事件報道のように、権力の不正を暴く独自の調査報道や、ほかのメディアに先んじる斬新な企画・視点を、いま以上に増やさねばならない。新聞が「既得権益」と見られずに信頼を保つためには、独立性を発揮するしかない。一方で「是々非々」を徹底するため、是と感じるものは是として国や地域を応援する態度も必要と思う。

《解説》
 話を聞いた記者は、全国紙、地方紙合わせて20人ほどだ。そのうち「新聞は面白くない」と答えた記者は19人。発表ネタに頼る現状や、型にはまった記事や連載モノの作成過程、人員減などを理由に挙げている。
 一番多かったのは、役所や企業の発表を、何の躊躇もなく記事にしてしまう新聞の在り方について、危機感を持つ意見だった。
 これは、新聞が形にこだわり冒険ができなくなったこと、さらには、記者クラブ制度に依存して、独自ネタの掘り起しができなくなったことを示している。しかし、そこに気づいている記者が少なくないことは救いだ。

 多くの記者が「調査報道」の重要性に言及しているが、現実は逆の方向に走っている。新聞各社は、調査報道の必要性が分かっていながら、時間とカネがかかるこの分野に力を入れようとしていない。相変わらず発表ものに頼り、石橋を叩いてわたろうとするデスク、編集幹部が多いのも事実だ。

 じつは、現場の記者たちの多くが、この状況を打ち破ろうと必死でもがいている。しかし、ついこの間まで前線を駆け回っていたはずの記者が、キャップやデスクといった立場になったとたん、人が変わったように慎重になることが多い。若い記者にブレーキをかけることもしばしばで、多くのネタが日の目を見ずに眠っていくのも現実である。取材対象からの反撃を恐れるからに他ならない。
 何だかんだと原稿に注文を付けたり、骨抜きにした結果、批判なのか事実の羅列なのか分からないような記事が氾濫する。守りに入った記事が面白いはずがない。かくして部数は減り続ける。
 部数減の本当の理由は何か―新聞社の幹部は、真剣に考えるべきだろう。

 次稿では、さらに記者たちの熱い思いを紹介する。



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