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違憲集団「日本維新の会」の危険性

2013年4月 1日 09:45

 先月30日、日本維新の会が大阪市で結党以来初の党大会を開き、党の新たな綱領を承認した。橋下徹共同代表は、大会冒頭の挨拶で今夏の参院選における自・公の過半数獲得を阻止する必要性を強調したが、その後の石原慎太郎共同代表とのインターネット対談では現行憲法を否定、自民党とともに新憲法制定を目指す姿勢を鮮明にした。事実上、自民党の補完勢力であることを認めた形だが、憲法改正に前のめりとなった新綱領自体は、「違憲」と断ぜざるを得ない内容だった。この国にとって、いま一番危険なのは違憲集団と化した「日本維新の会」の存在である。

右傾化顕著な新綱領
 日本維新の会の党大会で了承された新綱領は、前段で目指すべき方向性を示し、次いで基本的な考え方を示すという構成になっている。前段は次のような内容だ。

  • 国際的な大競争時代の中、国家の安全、生活の豊かさ、伝統的価値や文化などの国益を守り、世界に伍していくには、効率的で自律分散した統治機構の確立が急務。
  • 地域、個人が自立できる社会システムを確立し、世界において重要な役割を担い続ける日本を実現する。
  • わが国の歴史と文化に誇りを持ち、良き伝統を保守しながらも、多様な価値観を認め合う開かれた社会を構築する。
  • 創意工夫、自由な競争によって経済と社会を活性化し、賢くて強い日本を構築。
  • 「法の支配」等の価値を共有する諸国と連帯し、世界の平和に貢献する。
  • 決定でき責任を負う民主主義と統治機構を構築するため体制維新を実行する。

 後段は、これらを実現するための基本となる考え方として、次の8項目を掲げた。

  1. 日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家・民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる
  2. 自立する個人、自立する社会、自立する国家の実現。
  3. 官の統治による行政の常識を覆し、「自治・分権」による国家運営に転換する。
  4. 勤労世代を元気にし、世代間の協力と信頼の関係を再構築する。
  5. 国民全員に開かれた社会を実現し、教育と就労の機会の平等を保障する。
  6. 政府の過剰な関与を見直し、自助・共助・公助の範囲と役割を明確にする。
  7. 公助がもたらす既得権を排除し、政府は真の弱者支援に徹する。
  8. 既得権益と戦う成長戦略により、産業構造の転換と労働市場の流動化を図る。

 前段は、これまで橋下維新の会が掲げてきた“統治機構を変える”という主張を前面に押し出した形の文言だが、後段で示されたこれまでの「維新八策」にあたるとみられる8項目は、石原慎太郎氏の思いが色濃く出たものとなっている。
 『自立する個人』、『自立する社会』、『自立する国家』とはどのようなものか、あるいは『公助がもたらす既得権』であるとか『既得権益と戦う成長戦略』が何を指すのか、さっぱり分からない。具体策は皆無なのだ。さらに、『占領憲法』、『国家・民族を真の自立に導き』、『国家を蘇生』といった文言は、過激なアジテーションとしか映らない。 
 維新の会が目指す国家像や新たな憲法の理念が伝わってこない上、情緒的な部分ばかりが目立つ乱暴さには、国民政党としての視点、自覚の欠如がうかがわれる。浮かんでくるのは“極右化”への懸念ばかりだ。

現実に背を向けた危険思想
 最大の問題は、現行憲法を『日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法』とまで罵ったことにある。日本は、いつ『孤立と軽蔑の対象』となったのか、なぜ崇高な理想であるべき『絶対平和』が非現実的な共同幻想なのか、満足な説明もないまま現行憲法を悪と決め付けてかかる姿勢には偏った集団の危険性が漂う。

 様々な議論はあろうが、現行憲法の下、この国の繁栄が築かれ、多くの国民が平和を享受してきたのは紛れもない事実だ。その現実に背を向けて、日本へのマイナス評価のすべてを現行憲法に求めるのは筋違いである。戦後、復興を成し遂げ急成長した日本に対して、“エコノミックアニマル”だの“カネだけ出して汗を流さない”などといった批判があったのは確かだ。だが、それは企業や時の政府の判断に起因するものであって、平和を希求する憲法の理念が間違っていたからではない。

 維新側は、テロ対策や地域紛争時に憲法9条が足かせになって自衛隊が十分な活動ができなかった、だから国際社会から批判を受けたと言いたいのだろうが、それはあまりに短絡的だ。海外における自衛隊の展開を強いたのはアメリカをはじめ一部の国だけで、身近なアジアの国々から要望があったわけではあるまい。日本の間違いは、憲法の理念を死守するどころか、時々の都合に合わせて拡大解釈を重ね、国是であるはずの“戦争放棄”に疑念を生じさせたことだ。「ずるい日本人」を演じるはめになったのは、自民党政治の責任と言うべきではないか。

 維新の会の綱領でいう『孤立と軽蔑の対象』とは、まさにそうした身勝手な欧米諸国の思惑に踊らされる日本の姿を指したものだろう。しかし、それと憲法を結びつけるのはあまりに短絡的で、政治家としての程度が低いことを自ら喧伝しているに過ぎない。むしろ、現在の日本に対する世界各国からの厳しい視線は、なんだかんだと理屈をつけ、敗戦に至った過程やアジア諸国を軍靴で踏みにじったことに向き合おうとせず、憲法改正やら国軍の創設だのと叫ぶ政治家が増えているこの国の現状に向けられていることを認識すべきである。それさえ否定するようなら、維新の会の国際感覚はゼロということになる。

 維新の会―とくに石原氏は、憲法9条の《国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する》と、《陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない》とする規定があるせいで“軍隊を持てない”=“戦争ができない”という状態に苛立っているようだが、政治家個人の歴史観を国民に押し付け、国の方向性まで左右しようとする姿勢は、戦前の陸軍参謀本部をはじめとする戦争指導者に通じるものがある。戦争の惨禍や愚かしさを知る国民が、戦前回帰を煽る老人の暴走に付き合わねばならぬ理由などどこにも存在しない。

矛盾する綱領の記述 
 なにより維新の会は、新綱領が論理矛盾に陥っていることを認識すべきである。
 現行憲法を『日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法』とまで罵ったことは、憲法の精神を守ろうという国民を認めないと言っているに等しい。これは、前段の『良き伝統を保守しながらも、多様な価値観を認め合う開かれた社会』と明らかに矛盾している。多様な価値観を認めるというのなら、現行憲法をここまで否定してかかることなどできないはずだ。はじめから狭量な姿勢を示されれば、護憲勢力が議論に参加することもできなくなる。付け焼刃で作られた綱領の自己矛盾にも気付かない維新の現状がそこにある。

 論理矛盾はこれだけではない。そもそも「保守」とはこれまでの国の形を守ろうとする考え方のことで、事実上現行憲法の破棄を要求する維新の綱領は、むしろ革新もしくは革命的とも言うべきだろう。日本維新の会は保守ではないのだ。

維新の会の「憲法違反」
 日本維新の会は、憲法違反の集団であると断じておきたい。憲法第99条を確認してもらいたい。
『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』
 いかなる党の所属であろうと、国会議員や公務員(もちろん知事や市長も)たるものは、現行憲法を尊重し擁護する義務を負っているのだ。現行憲法を否定し、罵倒する新綱領に賛同する維新の現職政治家が、この憲法の規定に抵触するものであることは疑う余地がない。
 現行憲法が日本を『孤立と軽蔑の対象に貶め』たと断定しているが、それこそ極右が嫌う「自虐史観」ではないのだろうか。
 国家の誇りとは何か。日本人の誇りとは何か。それこそ多様な価値観によって定義が変わることを、日本維新の会はしっかりと認識すべきである。

いつか来た道
 『日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる』―日本維新の会の綱領を読んで想起されるのは二・二六事件における「蹶起趣意書」である。

《然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我欲を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元凶なり》(蹶起趣意書より抜粋)。

 二・二六事件が、結果として軍部の独走につながったことは歴史が証明している。



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