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元代議士秘書の転落

2012年11月 7日 09:30

 今年8月、福岡市および北九州市の都市高速道路を管理する福岡北九州高速道路公社などから料金所の運営を委託されていた「日本ロードサービス株式会社」(本社:福岡市)が、料金収受員らの5~6月分給与を支払っていなかったことが報じられた。
 未払い被害は1億円を越えていたと見られ、同社の対応が注目されたが、当時の社長(6月1日に辞任)は逃げ出した形で現在も所在不明となっている。
 同社の役員には、数年前まで元大牟田市長や元県議など福岡県政界関係者が名を連ねていたことが分かっているが、逃げ出した元社長こそ、今年2月からHUNTERの記者が追っていた元代議士秘書だった。

優良企業社長に意外な人物
 日本ロードサービスは、有料道路や公営駐車場などの料金収受業務を請負っていた会社で、福岡北九州高速道路公社をはじめ愛知、佐賀、長崎などの各県道路公社から業務を委託され、最盛期には20億円以上の売上げを誇っていた。 

 福岡県内で同社に関する奇妙な噂が流れたのは今年1月。同社の代表者が、複数の筋に融資依頼を行っているというものだった。
 それまで同社の代表者として知られていたのは元大牟田市長。役員には元福岡県議も名を連ねていたが、金策とは無縁なほど順調に売上げを伸ばしていただけに、関係者が一様に首をひねる事態だった。

 HUNTERが注目したのは、同社の登記簿を確認し、平成22年から元大牟田市長に代わって代表取締役に就任していた人物の名前だった。
 問題の人物は小川俊忠氏。かつて永田町を騒がせた元代議士秘書である。

 同氏を取材するため、福岡市天神にあった同社の本社事務所を度々訪問、職員に連絡を依頼したが反応はなかった。同氏の永田町時代を知る記者が、小川氏の足跡を追い始めたのは2月からである。

永田町時代にも金銭トラブル
 小川氏は福岡県出身。久留米大学附設高等学校から東京の大学に進み、卒業後のある時期から国会議員の秘書となる。複数の議員に仕えたが、最後の永田町勤務はバブル経済の絶頂期とも言える平成元年で、この年を最後に忽然と姿を消す。原因は金銭トラブルだった。

 永田町当時の小川氏の印象は、小太りでとつとつとした語り口。温厚そうに見えていたため、信用して騙された人間が少なくなかったという。
 代議士秘書としての勤務年数が長かったため、建設省の高級官僚を呼び出して飲み歩くなど、豊富な人脈を誇っていた。
 平成22年まで日本ロードサービスの社長だった元大牟田市長とは久留米大附設高校の同級生で、議員秘書と市長という立場を超えての付き合いがあったのも事実である。

 その小川氏、昭和63年から平成元年にかけて、方々から多額の借金を重ねるようになっていく。今となってはどの話が本当なのか分からないが、「付き合っているアジア人女性の親の焼肉店が赤字なので助けてやりたい」、「トラブルが起きた。ヤクザが国会事務所に乗り込んでくる」などと言っては、知人に金を借りるという生活が続いていた。金額は500万、1,000万という単位だったとされる。
 代議士事務所の中では先任の秘書と折り合いが悪く、事務所ぐるみで株の売買を行っていることなど、内情まで周囲に暴露していたほどだ。

 こうした生活が長く続くはずもなく、代議士事務所に個人的な借金がばれ辞職。以来、小川氏の行方はようとして知れなかったが、20年以上を経て現われたのが優良企業の社長に転身した同氏だったというわけだ。

複数の企業で役員
 同氏が関わっていた会社は、日本ロードサービスだけではなかった。

  • 東京都千代田区九段北のA社(労働者派遣業務)
  • 東京都中央区日本橋小舟町のB社(有料道路などの料金収受業務)

 いずれも役員に就任していたが、驚いたことにB社に至っては日本ロードサービスの給与未払いが問題化し社長を辞任した直後の今年7月、「代表取締役」に就任していた。
 一方、A社に関しては、昨年10月に代表取締役を辞任、今年5月末に役員からも外れている。
 なお、A社、B社ともに現在は無人となっており、電話連絡もできない状況である。

 このほか、平成19年頃までは、東京都港区に事務所を置いていた「特定非営利活動法人日本セイフティ・システム」の副理事長を務めていたが、自己防災の意識向上や教育に関する事業を行うとして平成14年に国の認証を受けた同法人は、一度も定められた事業報告などを提出せず、平成19年に認証を取り消され解散していた。

まるで住所不定
千葉県市川市新田の一軒家 記者が追った会社登記簿に残された同氏の住所地は次の3箇所だ。

  • 千葉県市川市新田(右の写真)
  • 京都市下京区西洞院
  • 福岡市博多区相生町(下の写真)

 すべて現地取材したが、千葉県市川市の住所地にある一軒家は、外国人留学生が集団生活しており、そのうちの一人に話を聞いたところ、6年ほど前から現在の状態だったという。
 登記簿に残された小川氏の住所は、平成23年2月まで市川市だったことになっているが、はるか以前からここには住んでいなかったということになる。

福岡市博多区相生町のアパート 平成23年2月から同年9月にかけての京都市内の住所地でも、同氏の残像を確認することはできなかった。
 同氏の住所地はあやふやで、前出A社の登記簿上は、平成23年10月の時点でも京都市内となっている。法務局に対し虚偽の申告をしていた可能性さえあるのだ。

 確認される最後の住所、福岡市博多区相生町についても同様で、何度訪問しても無人。郵便受けはいつもビラのたぐいで一杯の状態だ。生活実態をつかむことができず、事実上の住所不定というしかない。
 公共サービスを担う会社の代表とは思えぬ行動パターンだったが、再度接触を図ろうとしていた矢先、またしても姿をくらましたのである。

残された課題
 小川氏は、紛れもなくバブルに踊った永田町人種の一人だ。金銭がらみのトラブルを起こしては雲隠れするという人生だが、被害者はたまったものではあるまい。日本ロードサービスは、有料道路の料金収受という重要な仕事を受託する企業で、従業員の数も多かっただけに残した課題はあまりに大きい。

 ちなみに、彼が最後に仕えた代議士は元自民党幹事長の古賀誠氏である。小川氏がらみの事件のたびに名前を出される古賀元幹事長にとっては、迷惑極まりない話であろう。

 小川氏には、多くの人に謝罪し、説明する義務があるはずだ。転落人生のツケを他人に押し付けたまま、逃げ回ることが許されるとは思えないが・・・。



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