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政治的には「棄民国家」だが

2012年11月 8日 11:15

 総選挙に向けて「第3極」が注目を集めている。民主・自民の2大政党に対抗する勢力ということなのだが、石原慎太郎前東京都知事が進める野党結集構想は実現しそうにない。
 日本維新の会、みんなの党、国民の生活が第一などが連携すれば、一定の議席を得ることができると考えたのだろうが、提唱者の石原氏自身が発した「小異を捨てて大同につけ」という一言が、各政党の動きにブレーキを掛ける結果となっている。原発や増税を「些細なこと」と切って捨てたのもまずかった。
 任期途中で知事を辞任し、新党を作るとぶち上げてはみたものの、フタを開けてみれば「たちあがれ日本」の看板を書き換えるだけの話。拍子抜けした国民は少なくないだろう。
 第3極の中心になると見られている維新の会も、じつは二枚舌を使っており、信用すると痛い目にあいそうだ。
 政党はあまたあれど、投票先が見当たらないという現実。政党が党利党略を優先するこの国において、政治的棄民が増え続けている。

まるで戦前―「石原新党」の実相
 政党の看板を書き換えるだけでは、新党結成とは言えない。党名や代表者が変わったとしても、「たちあがれ日本」が掲げてきた政治理念や政策が放棄されるわけではないからだ。
 同党は7項目からなる「綱領」を策定しており、自主憲法制定をはじめ党が目指す方向性を明確に打ち出している。その中には、次の項目もある。

《わが党は、失われた政治への信頼を取り戻すために、「選挙のための政治」を峻拒し、政治生命をかけて政策の実現を目指す》。

 石原氏の主張する「小異を捨てて大同につく」という行為は、総選挙で第3極の議席を伸ばすためのものであり、同党の綱領で否定している《選挙のための政治》そのものだ。 
 さらに石原氏の言う「小異」とは、各党が掲げてきた「政策」や「理念」を示しており、《政治生命をかけて政策の実現を目指す》と断言した立ち上がれ日本の綱領は、無視されている。
 石原氏は、自らがトップに立とうとしている政党の綱領さえ理解していないのではないだろうか。

 立ち上がれ日本は今年4月、綱領にうたった自主憲法制定に向けた指針となる「自主憲法大綱『案』」を公表したが、その内容を見るとこの党の本質が歴然となる。

  • 自衛軍の保持。
  • 日本国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有し、これを行使することができる旨を確認する規定を置く。
  • 国家非常事態条項⇒内閣総理大臣による非常措置権の行使と国会による民主的統制を明文化する。
  • 国家非常事態に際し、憲法および法律に基づいて国および地方公共団体が実施する措置に協力する国民の責務を明文化する。
  • 個人の権利行使は、他者の権利との関係においてのみならず、国家・社会の利益との関係においても調整を必要とする。そのための人権制約原理を、「公共の福祉」という曖昧な概念ではなく、「国の安全」、「公の秩序」、「国民の健康または道徳その他の公共の利益」などの、より具体的で明確な概念で規定する。
  • 既存の人権の新たな位置づけ⇒表現の自由は、個人の名誉やプライバシーの保護、青少年の保護育成のために、一定の規制を受ける場合があることを明記する。
  • 政教分離原則は、あくまでも個人の信教の自由を確保するための手段であるから、日本古来の多神教的風土、日本人の宗教意識の雑居性などにかんがみ、儀礼・習俗の範囲内であれば国や地方公共団体が宗教的なものに関わることができるよう配慮する。

 軍隊、非常事態宣言、国家の優先、報道規制、国や地方の宗教への関与・・・。まるで戦前・戦中の日本である。石原新党とは、右寄りも右寄り、極右政党と言ってもおかしくない政治目的を持った集団ということなのだ。

 この政党が議席を伸ばすことは考えにくいが、石原氏が中心に座る「第3極」が政権をとった場合、中国・韓国だけでなくアジア諸国全体が日本への態度を硬化させることが予想される。果たしてそれが、石原氏らが重視する「国益」にかなうことなのだろうか。

日本維新の会の二枚舌
 総選挙で台風の目になると言われている「日本維新の会」も、怪しさにおいては石原新党に引けを取らない。

 橋下徹代表は、政党間連携の前提を「政策の一致」であると主張してきた。選挙目当ての合従連衡を否定し、政策本位で臨むという姿勢は間違いではなかろうが、維新の会自体がすでに主張と相反する方針を打ち出しているのだ。

 公明党は、近畿圏を中心に八つの小選挙区で候補者を擁立する(大阪3区・5区・6区・16区、兵庫2区・8区、北海道10区、東京12区、神奈川6区)。
 日本維新の会は、公明党が候補者を擁立する選挙区には自党の候補者を出さないと決めており、「政策の一致」を前提とする主張はとうに崩れている。

 維新の会は「大阪の特殊事情」を言い訳にしているが、都合が悪くなると開き直るのが同党の特徴でもある。いずれにせよ、公明党への対応で示されているように、「政策の一致」より「自分達の都合」を優先させている政党であることは間違いない。

 ちなみに維新の会、県庁所在地を抱える「1区」のすべてに候補者を擁立すると息巻いているが、前述のように公明党には「1区」から出馬予定の候補者がいない。

安倍総裁の限界
 自民党の安倍晋三総裁は7日、東京都内で講演を行ない、「中道」を唱える民主党について信念や哲学、政策がないとした上で、「堕落した精神、ひたすら大衆に迎合しようとする醜い姿がそこにある」と批判した。
 何様のつもりか知らないが、「中道」を堕落、大衆迎合とする考え方は明らかに間違い。クレージーなのは安倍氏の方である。

 言うまでもなく、「中道」とは極端な右や左の思想を持つことなく政策の遂行を目指すということであり、ひとつの政治哲学でもある。イデオロギーを排することが堕落とも思えないし、ましてや大衆迎合というわけでもあるまい。むしろ、「中道」を貫くことのほうが難しい場合さえある。

 民主党の失敗は、「中道」を守らず、軸足を「霞ヶ関」に移したことなのだが、安倍氏のヒステリックな言辞は、早期の解散総選挙にメドが立たぬことへの苛立ちの表れと見た方がよさそうだ。感情に流される安倍氏には、一国を担う資格などないということを明言しておきたい。しょせん宰相の器ではないのだ。

棄民国家
 石原新党(新党とは呼べないが)、維新の会、そして安倍晋三の3者に通低するのは、憲法改正、軍備拡張を軸とする国家改造への理想である。

 滑稽なのは、右寄り政治家たちの立ち位置だ。「保守の再構築」などと言えば聞こえはいいが、保守とは従来の伝統や体制を保持する勢力のことだろう。しかし「憲法改正」は現体制を根本から変えることに他ならず、だとすればむしろ革新的な事業ということになる。彼らは「保守」ではなく、根っからの革命論者なのではないか。
 論理矛盾にも気付かず、ヒステリックに民主党を批判しているだけでは国民の広範な支持は得られまい。第3極など夢のまた夢だ。

 民主も自民もダメ、新党は危険。政治的な支持を向ける相手がいないという意味において、この国の国民は「棄民」となっている。
 棄民国家にしたのが、私達が選んだ政治家であるだけにやっかいな話ではあるが・・・。



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