先月28日、注目の新党「日本維新の会」が発足した。代表は大阪市長の橋下徹氏、幹事長は府知事の松井一郎氏という地方自治体首長コンビで固め、党本部は大阪。憲政史上きわめて稀な政治集団であることは間違いない。
既成政党に愛想を尽かした有権者から、一定の支持を集めると見られる同党だが、この集団にはある種の危うさが付きまとう。
維新八策、党運営―いずれも国民の期待に応えられるレベルには至っておらず、憲法を真っ向から否定する姿勢や安倍自民党総裁との距離感は、「極右」路線を想起させる。
現行憲法との関係で同党を眺めてみた。
異例ずくめのようではあるが
形も異例だが、「維新八策」に見られる同党の主張はさらに異例。日本維新の会は、これまで既成政党が掲げてきた公約・マニフェストとは違い、この国の統治機構を変えることに主眼を置いた大胆な内容ばかりを並べて見せた。
しかし、どうもしっくりこない。たしかに、見てくれはニューファッションなのだが、よくよく確認してみると、着古した下着がチラチラ。自民、民主が放り出した服を仕立て直しただけのものが少なくない。
例えば、「首相公選」は若き日の中曽根康弘元首相が唱えたものだし、「企業・団体献金の廃止」は民主党がマニフェストに明記していた主張だ。
「教育委員会廃止」論は、埼玉県志木市の元市長が提唱していたし、公務員や国会議員定数の削減も今に始まった話ではない。
「プライマリーバランス黒字化の目標設定」にしても、民主党が財政健全化の方針として、平成27年度までに赤字を平成22年度の半分以下とし、32年度までに黒字化を目指すとしてきたものだ。
橋下氏の持論である「教育バウチャー制度」には、かつて政権を放り出した安倍晋三自民党総裁が首相時代に検討させたという過去がある。
いずれも様々な理由で実現しなかった約束や理想だったが、維新の会が掲げた八策には、こうした使い古しがかなり含まれている。
同党の主張が目新しく見えるのは、「統治機構を変える」という革命的な考え方を前面に押し出したからなのである。
憲法上の疑義
維新の会を持ち上げる人々がいる一方、眉をひそめる人が多いのは、「統治機構を変える」と言い切る橋下氏らの見据える未来に、危うさを感じているからに他ならない。
「統治機構を変える」とは、国の体制を変えるということであり、とどのつまりは「憲法改正」ということになる。ただし、維新の会の主張や組織のあり方には、彼らの嫌いな現行憲法上での疑問が生じる。
まず、党の代表を地方自治体の首長が務め、国会議員を下に置く形にしたことである(この点については、新党に参加した国会議員と橋下市長との間で早くも主導権争いが表面化しており、前途多難を予想される事態となっているが・・・)。
維新の「顔」である橋下市長を党首に据えねばならなかったため、“規約”で代表権限を強化し、国会議員の力を抑えるという手法を選択したわけだが、これがまずい結果を招く。
総選挙の結果、維新の会が衆議院で過半数を得たとする。
議院内閣制の下では、首相になるために国会に議席を持たねばならず、党首と言えども市長でしかない橋下氏が首相の椅子に座ることは不可能だ。
党首ではない国会議員が首相になったとしよう。
宰相といえども党の規約に背くことはできないため、重要な施策の方針決定のたび、代表である橋下市長にお伺いを立てることが求められる仕儀となる。
ところが、日本国憲法の41条にはこうある。
『国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である』
国権の最高機関に属する国会議員の中から選ばれた内閣総理大臣が、党首とはいえ一市長に首根っこを押さえつけられる様は、滑稽というしかない。さらに言うなら、憲法の精神に著しく反する形の政党に、国を任せることができるのだろうか?
むろん維新の会は、現行憲法そのものを否定する施策を売りにしており、「そんなことは関係ない」と一笑に付すだろう。しかし、この国で憲法が生きている以上、国会議員は重要な義務を負っていることを忘れてはならない。
第99条を確認してもらいたい。
『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』
いかなる党の所属であろうと、国会議員たるものは、現行憲法を尊重し擁護する義務を負っているのだ。現行憲法の否定に基づく維新の会の方向性は、この条文にも反するのではないだろうか。
「戦後」を「戦前」にしないために
憲法改正は自由民主党が党是とし、党の綱領にも明記してきたことである。つまり、憲法改正を前提とする「八策」を掲げた維新の会は、いわば自民党の補完勢力でしかない。
維新八策には、前述した首相公選制や参議院の廃止、条例上書き権など、憲法改正をともなう政策が明記されており、ために同党の主張を斬新と受け取った有権者は少なくないだろう。
だが、八策の最後には「憲法9条を変えるか否かの国民投票」とある。緊迫する日中間の領土問題を見据えていたかの一条ではあるが、これこそが維新の会の目指す国の形を示している。見えてくるのは軍隊、武力行使、そして戦争である。「いつか来た道」に一番近い政党は、じつは日本維新の会なのではないか。
この国の国民が「戦後」を生きてこられたのは、戦争放棄を謳った平和憲法に守られてきたお陰であることは論を俟たない。
勇ましいのも結構だが、憲法を軽んじる主張や理念を、スンナリ受け入れるわけにはいかない。
平成の世を「戦前」にしないためにも、だ。