先月28日に発足した国政政党「日本維新の会」の設立過程に疑義が生じている。
同党の立ち上げに参加した国会議員は7名。それぞれの議員が従来の所属政党を離党したことが前提となっていたが、維新の会の設立届に添付された必須書類に記された日付は各議員の“正式離党”の前だった。
民主党本部も、維新の会国会議員団の代表を務める松野頼久議員側も事実関係を認めており、届出の有効性が問われる事態だ。
「9月28日」―日本維新の会設立
日本維新の会が大阪府選挙管理委員会に政党設立の届け出を行ったのは9月28日。「政治団体設立届」 には、必須書類である「規約」と参加国会議員7名の「承諾書及び宣誓書」が添付されていた(右は設立届)。
政治資金規正法は、政党の届出について《主たる事務所の所在地の都道府県の選挙管理委員会を経て総務大臣》 と定めており、日本維新の会の場合は大阪府選管を経由して総務省に届出書類が送られていた。
同法の規定により、国政政党としての要件を満たすためには、所属する衆議院議員または参議院議員を5人以上集めるか、直近の国政選挙などにおいて、全国を通じて2%以上の得票を得ていなければならない。
しかし、国政選挙を経験していない維新の会が政党として認知されるためには「5人以上の国会議員」を揃えるしかなく、民主党から松野頼久(衆・熊本1区)、石関貴史(衆・群馬2区)、水戸将史(参・神奈川9)の3名、みんなの党から上野宏史(参・比例)、小熊慎司(参・比例)、桜内文城(参・比例)の3名、自民党から松浪健太(衆・比例近畿)の各議員を、それぞれ“離党”させた上で迎え入れていた。
参加7議員、届出日の“所属政党”は?
HUNTERは、総務省に対し、日本維新の会が提出した「政治団体設立届」などの関係書類を情報公開請求していたが、15日開示された一連の届出書類の写しから、設立届や国会議員7名が署名した「承諾書及び宣誓書」を確認した。
「政治資金規正法施行令」は、政党としての届出をする場合の必要書類について、次のように規定している。
〔当該政治団体に所属する衆議院議員又は参議院議員(括弧内略)の氏名を記載した書面並びに当該書面にその氏名を記載されることについての当該衆議院議員又は参議院議員の承諾書及び当該政治団体以外の政党(括弧内略)に所属していないことを当該衆議院議員又は参議院議員が誓う旨の宣誓書〕
施行令の規定に従って提出された日本維新の会参加の各議員の「承諾書及び宣誓書」によると、7名の議員の署名年月日は「平成24年9月28日」となっている。
「承諾書及び宣誓書」には、《私は、日本維新の会以外の政党に所属していないことを誓います》 と明記してあり、それぞれの議員が自署していた(下は松野議員のもの)。
このうち、みんなの党に所属していた上野、桜内の両参院議員については同党が9月25日に離党届を受理。小熊議員については除籍をにらんだ処分とするため保留としながらも、3名に対し議員辞職勧告を行うと発表していた。この時点で3名の離党が成立していたものと見られる。
問題は民主党、自民党に所属していた5名の議員たちの所属先だ。
民主党本部に確認したところ、離党届を提出した松野、石関、水戸の3議員について、正式離党は10月5日と明言。この日開かれた同党常任幹事会で3名の除籍処分を決めた時点までは、民主党所属の国会議員だったと主張している。
一方、日本維新の会の国家議員団代表を務める松野議員の事務所も、正式離党はいつかとの記者の確認に対し、「民主党が離党届をなかなか受理しなかった。正式離党は民主党が除籍処分を決めた時点」と答えている。10月5日ということだ。
つまり、民主党離党組の3人の議員は、日本維新の会が発足した「9月28日」の時点では「民主党所属」だった可能性が高く、各議員が署名した「承諾書及び宣誓書」の《私は、日本維新の会以外の政党に所属していないことを誓います》との一文に疑義が生じるのである。
自民党を離党した松浪議員に至っては、16日現在も「離党届は正式に受理されていません」(自民党本部)という状況だ。
問われる政党設立の有効性
民主、自民を離党したとしていた4名の議員の所属先が、9月28日の時点で変わっていなかったとしたら、日本維新の会が提出した政党の設立届は無効ではないか―所管する総務省政治資金課に確認したところ、「総務省としては出された書面でしか確認できない。形式審査権しかないため、いつ離党したかの確認はできない」と困惑気味。2度にわたって確認したが同じ対応だった。
拙速が目立つ日本維新の会だが、設立過程に疑問符がついたのは事実。立党に参加した国会議員たちが、従来の所属政党を正式離党せぬまま、「承諾書及び宣誓書」に署名していたとすれば、政党の要件自体が整っていなかったことになる。