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まやかし社会

2012年9月13日 09:35

 12日、民主、自民の党首選びの顔が出揃った。いずれも政治家としては小粒としか言いようがなく、大阪市長の存在感に比べれば影の薄さは否めない。
 その市長が率いる日本維新の会も、この日結党宣言を行ない、総選挙に向けて気勢を上げた。
 党首候補たちが掲げる政策と、既成政党を否定し統治機構の再構築を目指すという維新の会の「八策」が大きく違うのは事実だが、“まやかし”が多すぎる点だけは共通しているようだ。
 もちろん、“まやかし”がまかり通る背景に、大手メディアの報道姿勢があることも忘れてはならない。

原発めぐる“まやかし”
 政治家の口から出るエネルギー政策についての方向性は、いずれも脱原発をにおわせてはいる。しかし、すべてが「2030年」を基準にした主張であることに違和感を覚える国民は少なくないだろう。
 大飯原発の再稼働後、政府が行った世論調査は「2030年」までに原発比率をどうするかというものだった。どうやらこのあたりから原発をめぐる議論において「2030年」が一人歩きしはじめたようだ。

 すべての主張は、2030年という18年後の将来に、原発依存度を高めるか否かという点に絞られており、これは営業運転を停止している原発の再稼働を認めるという前提での話に他ならない。民主、自民いずれの党首候補もすべての原発を即刻廃炉にするという立場ではないのだ。

 国民の意見は「再稼働反対」だったはずだが、大手メディアの報道ぶりに引きずられて、いつの間にか再稼働後の議論にすり替わってしまっており、これこそが原子力ムラと大手メディアが組んだ“まやかし”なのである。

 2030年という設定自体、政府が(というより原子力ムラが)仕組んだ再稼働への布石だったと見るべきで、党首選や総選挙に向けたエネルギー政策の裏に隠された本音を見定めねばならないだろう。
 分かりやすいのは「即廃炉」なのだが、民主、自民、維新のいずれにもその考えはない。 

増税めぐる“まやかし”
 消費増税法案はたしかに国会で成立した。しかし、増税が実現するか否かは総選挙の結果次第だ。消費増税に反対する政党が多数を得れば、同法案を廃案にすることも可能だし、時の政権が「経済状況が好転していない」と判断すれば増税実施を拒否することもできるのだ。

  同法案の第一条には、次のように規定されているからだ。
《この法律は、世代間及び世代内の公平性が確保された社会保障制度を構築することにより支え合う社会を回復することが我が国が直面する重要な課題であることに鑑み、社会保障制度の改革とともに不断に行政改革を推進することに一段と注力しつつ経済状況を好転させることを条件として行う税制の抜本的な改革の一環として、社会保障の安定財源の確保及び財政の健全化を同時に達成することを目指す観点から消費税の使途の明確化及び税率の引上げを行うとともに・・以下省略》

 条文の趣旨を遵守するなら、平成26年4月の時点で《経済状況を好転させること》ができない場合は増税を実施してはならないはずだ。

 しかし、大手メディアの論調は、押しなべて「現行5%の消費税率が平成26年4月に8%、同27年10月には10%へと引き上げられる」と断定するものばかり。停止条件とまでは言えないが、増税実施が条件付きであることを強調し、それが守られるかどうかに焦点を当てた報道は皆無に近かった。

 増税を是とする大手メディアとしては、この問題に終止符を打つ方向でリードしたつもりなのだろう。戦後の日本の報道にはこのたぐいが多すぎる。
 記者クラブ制度にどっぷり浸かった大手メディアと国の馴れ合いが招く世論操作は顕在で、これこそ大掛りな“まやかし”なのである。

党首選挙の“まやかし”
 してみると、細かい部分で主張をぶつけ合っている民主、自民の党首選は、より胡散臭く見えてくる。しょせん両党とも原発再稼働に賛成であり、一部の議員をを除けば消費増税に賛成した政治家の集まりなのだ。

 大手メディアは2大政党の党首選を盛り上げようと必死だが、原発再稼働や増税に反対する有権者にとっては関係のない話でしかない。
 大騒ぎする大手メディアの狙いは、原発再稼働や増税を規定路線化することにあると見るべきだろう。

維新の会の“まやかし”
 既成政党を見限った有権者の期待を一身に受ける形となった橋下大阪市長率いる「日本維新の会」。橋下市長の歯切れの良い物言いと、国民の思いを代弁するかのような主張に共感する人は多いようだが、その政治手法には疑問符をつけざるを得ない。

 大飯原発再稼働に反対する姿勢を見せたかと思えば、一転して容認。次の総選挙の争点だと明言した消費増税についても、「決まったこと」として片付ける構えだ。
 具体的な実現への道筋が提示されていない維新八策への批判が出たとたん、「あれは綱領」と言い出す橋下市長。走りながら考えると言えば聞こえはいいが、朝令暮改では国民が迷惑する。
 前言撤回が多い橋下流に、危惧の念を抱く国民は少なくないだろう。 

 注目されたその「維新八策」にしても、国の大方針を示した本家「船中八策」とはまったく違い、橋下市長らの理想を細々と列挙したものに過ぎなかった。評価が分かれるところではあるが、「憲法改正」を軸に据えた政策集であることは疑う余地がない。
 首相公選制、条例上書き権等々、憲法改正をともなう政策が多く、とどめが「憲法9条を変えるか否かの国民投票」である。
 橋下市長の従軍慰安婦に関する発言や、自民党・安倍元首相との距離の近さからは、大きく右に傾いた政治集団と見ることも可能だ。

 一番理解に苦しむのは、既成政党、とくに自民・公明が築き上げてきた「統治機構の作り直し」を訴えながら、総理・総裁経験者の安倍氏との連携を模索したり、公明党と事実上の選挙協力を行っていることだ。政党要件を満たすために7人の現職議員を引き抜いたことも感心できない。主張と行動に一貫性がないことは歴然としている。
 維新の会もまた、“まやかし”を用いた政治手法を取り入れているのである。

正すべきは“まやかし社会” 
 こうした政治勢力が躍進することに、戦前の“いつか来た道”を想起するのは筆者だけではあるまい。政治腐敗、右傾化、マスコミによる扇動、いずれも戦前と似たような状況なのだ。
 開戦ムードを盛り上げたあげく、戦時中は、大本営発表という“まやかし”が、国民に塗炭の苦しみを与える結果を招いたことも忘れてはなるまい。

 原発や増税に関してはもちろん、総選挙に向けた動きの中で“まやかし”が横行する現実こそ、正さねばならない対象ではないのだろうか。



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