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やっぱり「子ども」
高島福岡市長 福岡城整備計画で底の浅さ露呈

2012年8月30日 11:30

 高島宗一郎福岡市長は今月16日、旧建造物の復元を視野に入れた福岡城跡の整備に向けて、福岡城跡整備基本計画検討委員会を開催すると発表した。
 
 観光客誘致を軸に経済の活性化を図ろうという狙いらしいが、存在をめぐって議論の分かれる「天守閣」の建設にまで踏み込んだ構想であることは明らかだ。
 
 パフォーマンス好きの高島氏らしい安易な発想だが、この市長さん、どうやら施策の裏付けとなる基本的な数字がわかっていない上に、「城」というものを理解していないふしがある。
(写真は福岡城多聞櫓)

認識不足
 「経済観光文化局」を新設し、観光に力を入れる高島市長。選挙公約にはなかった二階建てバスの購入に億単位の公費を投入したかと思えば、今度は福岡城跡を整備して観光客を呼び込むのだという。
 福岡市を観光都市に仕立てる考え方が間違いであるということは次稿で検証するが、16日の会見における記者団とのやり取りを確認すると、高島氏の「城」に関する認識の甘さ、底の浅さが浮き彫りとなる。

市長:経済的な観光的な視点も加えながら磨きをかけていこうということで、経済観光文化局というものを作りましたが、そのコラボレーション企画としては、まあある意味最初の象徴的な取り組みと言えるかもしれません。福岡城です、福岡城。みんなが知っている福岡城、でも福岡城のイメージと言われてもですね、まあ天守閣もないですし、いわゆる熊本城のようなですね、インパクトにも欠けると。

 会見冒頭でのこの発言こそが市長の発想の原点である。たしかに熊本城には天守閣があり、復元され平成20年から一般公開されている本丸御殿が観光客を集める目玉となっているという現実がある。つまり、市長が思い描くイメージは、天守閣をふくむ建造物=城=インパクトというものなのだ。当然、復元計画の中心は「建造物」ということになる。

 建造物を志向する市長の思いは次のやり取りでも顕著だ。
gennpatu 1864410533.jpg記者:現段階でですね、市長の中にこういうふうになったらいいなみたいな青写真みたいなのはあるんですか。
市長:そうですね。やっぱりあそこの城趾、やっぱりいろんな、今はなくなっていますけれども、いわゆるお城としての、お城としてのやはり形をしっかりと、道路側から見てもですね、しっかり分かって・・・・
             ・・・中略・・・
 ・・・また郷土の建築物もしくは歴史というものを子どもたちが見て、そして日本の歴史に興味を持ち、そしてまた誇りを持てるような、そういう福岡城の形というものが再現されていけばいいなというふうに思います。

gennpatu 1864410538.jpg記者:お城としての形ということですけど、やっぱり天守閣ということですか。
市長:来ましたね。福岡城はもうその天守閣が一つの大きな問題でして、個人的には天守閣ができたらいいなあと思っています。ただ、当然そのためにはですね、今のルールでいけば、やはりその実際に写真が残っているとか文献が残っているというような、いわゆる物証が必要なんですよね。それを根拠にでないと復元してはいけないというのが、これは文化庁の中での現在の取り決めなわけです。ですから、もし仮にそういった写真があったとか文献が出てきたってなればですね、それはスムーズに復元できるわけなんですけれども、そこはまだ分からないんです。ただ、私個人の思いとしては、是非やっぱりお城を復元するからには天守閣も復元できたらいいなと思いますが、まずは、そのためにもですね、あるだけの資料をやっぱりしっかりとそろえていくということが大事かと思いますので、できるだけ元の形に近づけるためには、より多くの写真や文献が必要ですので、市民の皆さんにも協力をお願いしたいと思います。
(右上の写真は福岡城「天主台」跡。この場に「天守閣」があったかどうかは定かではない)
 
 結論から述べるが、高島市長の発想はあまりに幼稚だ。
 一般的に「城」と言えば荘重な天守閣を想像しがちだが、城とは本来、天守閣そのものではなく敵に備えるための拠点として整備された場所を指す。古くは、一山(もしくは丘)をもって「城」と呼ぶケースの方が多く、天守閣が出現するのは織田信長の時代以降の話である。
 城のイメージを建造物に結びつけるのは、幼稚な考え方であり、歴史に対する造詣が浅いことを示している。

 市長の見落としはまだある。天守閣を含む建造物の復元を求める場合には、その城と地元の人々との間に濃密な関係が続いていることが前提となる。
 復元天主を有する城としての熊本城は、城そのものが熊本市のシンボルであり続けてきたし、鯱で有名な名古屋城は「尾張名古屋は城でもつ」とまで言われるほど土地の象徴として存在してきた。
 姫路城を筆頭に現存天守閣を持つのは全国で12城であるが、いずれも市民の城への愛着がなければ保存は不可能だったとされる。
 
 あるいはまた、「セイショコさん」と今なお慕われつづける加藤清正公のような城主がいたかどうかも重要なポイントだ。
 旧藩主との縁が希薄な土地では、城そのものに絶対的な意味がない限り復元や整備はおぼつかない。
 例えば、福岡県の久留米市の事例がこれにあたる。久留米藩のお殿様は有馬氏であったが、明治維新後、早々に東京に移住したため、久留米市民の旧藩主を慕う気持ちは薄いのだという。現存する久留米城跡は、記念館はあるもののどう見ても寂しい限りなのだ。
 城の復元には、市民の要望が絶対条件であり、それなくして造られた建造物はただの観光施設に他ならない。比較して福岡城はどうか?

子どものおねだり―実態知らずに「お城が欲しい」
gennpatu 1864410533.jpg 観光客を増やしたいという市長だが、現状把握すらしてないことが次のやり取りで明らかとなる。

記者:現在、現時点では観光客はまたどれくらいおられるのですか。
市長:ああ、ええっと、去年、一昨年から福岡城さくらまつりというのをライトアップをするという中でですね、たくさんの方に来ていただけるようになっているんですが、具体的な人数・・・。
経済観光文化局:今年の3月末のさくらまつりで24万人でございます。
市長:ということです。

記者:それはさくらまつりということで、福岡城を見に来るための観光客というとどのぐらいの方ぐらいの方が来られていますか。
経済観光文化局:福岡城単体でといいますか、福岡城に年間でどれだけという数は把握しておりません。
市長:だって、今そんなにないでしょう。

 実態も知らぬまま、天守閣を造って観光客を増やすという市長には呆れるしかない。これでは子どものおねだりではないか。

 市長の福岡城の歴史についての認識にも怪しいものがある。会見の中での次の発言にこうある。

市長:そもそも本体自体が焼けてなくなってしまって、まあ中に入ってしまうとちょっと広い広場のようになってですね、あんまりそのお城的なイメージになってないというのが現実なので・・・以下略。

 福岡城にあった建造物の多くは、明治維新後に解体もしくは移築されており、「焼失」したものは数えるほどしかない。天守閣はその存在自体が確認されておらず、市長の言う“焼けてなくなった本体”が何を指すのか判然としない。文脈をたどれば御殿や天守閣が焼失したと言っているようなのだが、そうだとすれば城の歴史さえ知らないことになる。
 
 あらゆる点で認識不足のまま、観光のために城の整備(しかも建造物を軸に)を進めたいという高島市長。やはりこの市政トップは“子ども”である。



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