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森本防衛相の沖縄訪問 無軌道ぶり露呈
オスプレイ説明 訪問日程協議の記録は不存在 

2012年8月21日 09:00

オスプレイ 森本敏防衛相の行き当たりばったりの職務遂行ぶりが明らかとなった。
 
 今年6月30日、森本防衛相は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備について説明するため、沖縄県宜野湾市を訪問し佐喜真宜野湾市長と会談した。
 米軍の使い走りに等しい大臣の行動が県民の反発を招いたのは言うまでもないが、訪問日の設定にも問題があった。
 HUNTERが、大臣の沖縄訪問を同日に行うに至った過程を確認するため、防衛省への情報公開請求を行ったところ、訪問日程についての省内や関係自治体との協議の記録が一切残されていないことが分かった。(写真は「オスプレイ」。防衛省ホームページより)

唐突な沖縄訪問
 6月30日、宜野湾市役所に佐喜真淳市長を訪ねた森本防衛相は、垂直離着陸輸送機オスプレイの沖縄への配備に関し、前日(29日)にアメリカ側から通告があったことを伝え、普天間基地へのオスプレイ配備に理解を求めたとされる。
 しかし佐喜真市長はオスプレイが2度も墜落事故を起こしながら、原因が究明されない中での配備は許されないとして反論、日・米両政府の姿勢を批判した。
 オスプレイ配備の強行に対する反発は当然だが、沖縄県民にとって容認できなかったのは唐突に決められた森本大臣の訪問日が「6月30日」だったことだ。

「6月30日」―宮森小学校米軍機墜落事故 
 53年前の昭和34年6月30日、沖縄県石川市(現うるま市)で米軍のジェット戦闘機墜落事故が発生。機体は住宅など数十棟を全壊させ、宮森小学校の校舎を直撃し炎上、小学生11 名を含む死者17 名、重軽傷者121 名という大惨事を招いた。

 森本防衛相は、墜落の危険性が指摘される米軍機配備の説得日を、よりによってこの6月30日に設定したのである。大臣としての資質が疑われる行動であったことは否定できない。
 それでは、沖縄県民の感情を無視した森本氏の訪問日程は、どのように決められたのか?振り返ってみると、大臣自身が日程調整について言及していた。

 沖縄訪問当日、臨時会見を開いた森本防衛相は、記者と次のようなやり取りを行っている。

記者:沖縄への過重な基地負担が差別だと考える県民が5割いて、まさに今オスプレイが墜落するのではないかと、恐怖を抱えていると。そういう中でちょうど53年前に(米軍機が)墜ちたというこの日に、こういう話をしに来るということがどうかなと思っている県民もいるようなのですが、そういう県民感情についてはどう思われますか。

森本:この1959年の今日の日に起きた事故については、私は資料等、記録等をきちんと読んだだけで、それ以上のことは皆さんの方がむしろ体験として持っておられると思いますが、事件がいかに悲惨であって、大変な犠牲を生んだということについては、私なりに理解をしています。ただ、国会日程その他もあって土日しかこうやって沖縄に、これから岩国市、山口県にも行くのですが、この日程がどうしても取れなかったので、こういうことになって、正直申し上げると、どちらをどういう日にちにするか、随分調整をして、こちらの県にも、こちらの市にもご相談をして、こういう日にちになったわけで、これを狙って来たなどと思われると大変な誤解です。そういうことでは全くありません。この事故がどういうものであったかは、私なりに理解をしています。

 『随分調整をして、こちらの県にも、こちらの市にもご相談をして、こういう日にちになった』というのであれば、省内に日程協議の記録が残るはず。そう考えて7月中旬、防衛省に対し、訪問に至るまでの過程を示す公文書の開示請求を行った。

 そして今月8日、情報公開請求に対して防衛省が出した答えは、文書不存在による「不開示決定」だった(下の文書参照。赤いアンダーラインと黒塗りはHUNTER編集部)。
 不開示の理由は、《沖縄訪問に係る日程調整については、口頭で行われたため、当該行政文書を作成及び保有していない》ためだという。しかし、これはどう考えても納得できない。

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理解できない防衛相の説明
 森本防衛相は、前述の通り記者会見で『随分調整をして、こちらの県にも、こちらの市にもご相談をして、こういう日にちになった』と明言。国会審議の中でも同様の発言を行っている。

 ちなみに、防衛相が公表した森本防衛相の6月30日から7月1日までの2日間の日程は次のようになっている。

【沖縄県】
・空自那覇基地視察
・戦没者墓苑献花等
・宜野湾市長との面談
・在沖縄四軍調整官表敬等
・沖縄県知事との面談
・オスプレイ配備関係自治体との面談
【山口県】
・岩国飛行場視察
・岩国市長との面談
・山口県知事との面談

 森本防衛相は、『国会日程その他も あって』この両日を選んだと話しているが、7月2日から4日間は、本会議や衆・参の予算委員会、防衛問題を所管する衆院安全保障委員会、参院外交防衛委員会のいずれも開かれていない。
 6月30日という日の歴史的意味や沖縄県民の気持ちが考慮されていれば、日にちをずらすことは可能だったはずだ。この点、防衛相の説明には無理がある。
 国会の日程を重視したという森本氏の説明は、沖縄県民の声を軽んじた証左ではないのだろうか。 

 米国側からオスプレイ配備についての通告があったのは6月29日だ。間髪容れず沖縄への説明に走った形だが、配備への反発を強めていた沖縄県に対し、拙速に事を運ぶ必要があったとは思えない。
 少しでも理解を得ようという意識があれば、沖縄県の動向を見定めた上で、時間をかけて丁寧な説明に努めるべきだろう。
 だが、実際には米側通告の翌日に、しかも、かつて米軍機が墜落して多くの犠牲を出した日に沖縄を訪問しており、沖縄軽視は明らかだ。
 オスプレイの米軍普天間飛行場への配備について、「地元合意は条件ではない」(7月24日の会見での発言)との考えを示している森本氏は、もともと沖縄県民の痛みなど理解していないのだろう。

訪問日程協議の記録がない???
 いずれにせよ防衛相側は、沖縄、山口両県や各自治体との間で細かな日程調整を行っているはずで、その記録が残っていないはずはない。「口頭」で、これだけの過密日程の調整が行えるわけがないからだ。

 この点について、、決定通知が出るまでに防衛省側とやり取りしてみたが、「口頭」で日程調整を行ったため、公文書の形では何も残されていないの一点張りなのである。
 日程協議を行ったのは大臣本人だったかのような言い分だったが、正式な記録も決済文書もない以上、なぜ沖縄県民の感情を逆なでしてまで6月30日を選んだのか分からない。

 取材を続けてみると、この日を選んだのはやはり森本防衛相本人だったようで、だとすれば、この大臣の行動は記録にも残らない無軌道なものだったことになる。
 大臣としての資格がない、ということだ。



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