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亡国政権

2012年4月11日 10:50

国会議事堂 かつて、この国にこれほどデタラメな政権があっただろうか。存続期間の長短はあったにしろ、今ほど政策決定の過程が不透明で、付け焼刃の愚行を繰り返した政権は皆無に近い。戦後政治史のどこを紐解いても、野田政権のように国民の声を無視して希望の二文字を奪ったケースは見当たらない。
 
 原発再稼動、消費増税、TPP・・・。いずれも国民への十分な説明がないまま、霞ヶ関の筋書き通りにことが進む。政・官・業癒着の弊害が指摘された自民党政権時代より、はるかにタチの悪い状況だ。

理不尽な原発再稼動への過程
 「暫定」とは正式ではない仮のもの、つまり不十分な状態を指している。野田政権はそのお粗末な仮の基準に"おおむね適合している"から原発を再稼動させるという。"おおむね"、つまり「おおよそ」「だいたい」ということで、こちらも極めて適当な判断ということになる。
 もともと不十分な基準に「新たな判断基準」と名前を付け、これまた不十分な判断で原発再稼動を決めるというふざけた政権がこの国を動かしているのである。信頼しろと言う方が無理だ。

 一方、政府が「おおむね適合している」と評価した関西電力大飯原子力発電所(福井県おおい町)における安全対策の工程表も、人をバカにした内容だった。
 福島第一原発の事故発生以後、指摘されてきた改善点を列挙しただけで、原発事故時に重要な役割を果す「免震事務棟」の建設完了時期を平成27年度としたほか、新たな非常用発電機の設置については「検討する」というもの。つまりこれから数年間、原発の安全が担保されないということを示しているだけだ。

 およそ人命、財産に被害を与える可能性を持つ施設や機械に関しては、すべての安全対策が終了してから稼動の是非を判断するというのが常識的な手順のはず。ましてや、いったん事故が起きれば制御できない原発についての判断では、数年先の安全対策を評価して稼動を許すことなど許されていいはずがない。フクシマの教訓を無視する政府に原発を再稼動させる権利はないのである。

 断っておくが、現在の政治状況を考えれば野田佳彦や枝野幸男といった政治家が何年間も責任ある立場にいるとは思えない。再稼動してから安全対策が終了するまでの間に事故があった場合、誰も責任を取れないということになる。
 無責任政治のツケを回されるのが、主権者であるはずの国民であることを忘れてはならない。

自己矛盾に気付かぬ政府
 さて、その枝野経産相は10日、閣議後の記者会見で原発事故時における政府と電力会社の連携について新たな対応策を打ち出す方針を明らかにした。おかしな話だ。
 
 暫定基準に照らし大飯原発3、4号機の「安全性が確認された」と明言しておきながら、事故を想定した対策を公表するという矛盾。事故が起きるということは、今回の対策に不備があったということの証明でしかなく、安全が担保されていないことを自ら認めたに等しい。政府は、再稼動に前のめりになり過ぎて、自己矛盾にさえ気付かなくなっているようだ。何でもかんでも並べ立てれば国民が納得するというものではない。

注目される大阪の動き
 優先されるべきは事故時の対策ではなく、原発についての広範な議論であり、そのひとつとして挙げるなら、原発再稼動の是非にどの範囲まで権限を与えるかという条件整備の問題がある。

 10日、大阪の松井知事と橋下市長は、原発から100キロ圏内の自治体の知事に拒否権を持たせることなどを軸とした再稼動にあたっての8条件を府市統合本部会議で了承した。政治が発信するメッセージとしては、じつに分かりやすいもので、十分評価に値する。
 
 こうした動きに野田首相や藤村官房長官は、原発再稼動に「地元の同意など法律上義務付けられていない」と言い出した。それでは問うが、これまで立地自治体の同意があれば再稼動は可能としてきた政府の主張は何だったのだろう。

 ことほどさように行き当たりばったりの政権に、まともな政策判断ができるわけがない。橋下氏への好悪は別として、大阪に注目が集まるのは当然のことなのだ。

背後に原子力ムラの存在
 ところで、気になるのは国や関電の使う一連の言葉である。頻繁に「おおむね」「検討」が出てくるが、これは曖昧を旨とする役人用語の典型と言えるものだ。
 ちなみに霞ヶ関で「検討する」は、何もしないことを表しているが、この一事をもってしても、政府や関電を動かしている黒幕が経済産業省の官僚であることは、疑う余地がない。

 戦後、政・官・業・学で築き上げられてきた原子力ムラは、ここにきて一気に原発復活への圧力を強めている。九電玄海原発(佐賀県玄海町)を再稼動の嚆矢にする目論見がはずれたあと、彼らが狙い定めてきたのが大飯原発3、4号機である。
 大手メディアの経済部を使って電力不足を喧伝させる一方、霞ヶ関(とくに財務省なのだが)がコントロールする首相に、なりふり構わぬ手段を講じさせているというのが実態だろう。原子力ムラの中心は霞ヶ関にある経済産業省なのである。

消費増税の黒幕とパシリ財務相
 官主導で国が動いている証拠は、消費増税をめぐる動きでも明らかなのだが、分かりやすいエピソードが存在する。

 昨年秋、野田首相は閣僚経験のなかった安住淳氏を財務大臣の要職に抜擢した。その就任直後、財務省幹部が、ある人物にセッティングを依頼し、都内で安住新大臣との会合を持っている。
 財務省幹部は自民党政権時代に大蔵省から官邸に派遣され、官房副長官の秘書官(事務方)を務めていたという経歴を持つ。そして当時、NHKの記者として官房副長官の番記者をしていたのが現在の安住財務相なのである。

 安住氏は、元宮城県牡鹿町長の息子だが、浪人して入学した早稲田大学社会科学部(当時は夜間部)を卒業後、NHKに入社している。当時の"安住記者"を知る政府関係者たちは、口を揃えて「安住が財務大臣かよ」とぼやくほどの評価なのだが、番記者時代、安住氏は前述の官房副長官秘書官にずいぶんと世話になっていたという。

 時を経て、大臣とその部下として向かい合った席。かつて安住氏の面倒を見た元官房副長官秘書官が、財務省から大臣への厳命として言い渡したのは「死んでも消費増税を成立させろ」というものだった。財務省のパシリとなった安住氏のその後の獅子奮迅ぶりは改めて述べるまでもなかろう。
 番記者当時の力関係は続いていたらしく、現在も元官房副長官秘書官が大臣を指導しているという。「政治主導」という言葉が虚しく響く。

旧陸軍参謀本部との酷似点
 野田政権が「政治主導」という本来の主張から逸脱してきた軌跡を見ると、ある時代に酷似していることに気付く。

 「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」と言い換える言葉の嘘。負けているのに勝ったとする大本営発表。現場を無視した無謀な命令。いずれも旧陸軍の参謀本部がやったことであるが、机上の空論で動かされた兵や国民に、多大の犠牲を出してしまったことはいまさら言うまでもない。

 現在のこの国の政府はどうだろう。「暫定基準」を「新判断基準」と言い張り、不十分な安全対策を「おおむね適合」と勝手に評価。あげく原発再稼動に最低限必要としてきた地元同意についても「地元同意は法律上必要ない」と言い出す始末。
 消費増税で社会保障が維持できるという強弁にも、数字の裏づけなどありはしない。TPPについてもアメリカとの交渉過程は藪の中だ。

 つまり野田政権の政治手法は、旧陸軍参謀本部がやったこととまったく同じで、前提や予測される悲劇を無視して、ほしいままに愚策を実行に移しているだけなのだ。 いったん表明した以上、後には引かないというばかげた覚悟も、戦中の軍部の姿を彷彿とさせる。

 国民の命を軽んじる亡国政権に未来を切り拓くことなどできるはずがない。解散して信を問うのが筋というものだが、次の首相は誰かと考えた時、暗澹たる気持ちになるのは筆者だけではなさそうだ。



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