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東京と直方 明暗わける旧駅舎への対応

福岡県直方市 歪んだ市政

2012年4月 6日 10:15

 福岡県直方市。世帯数約26,000、人口59,000人あまりのこの地では、まちの中央を流れる遠賀川の河川敷に菜の花が春の訪れを告げ、4月初旬からは市役所近くの直方リバーサイドパークに10万本を超えるチューリップと2万本のムスカリ(ヒヤシンス科)が市民の目を楽しませる。
 
 かつて石炭産業がこの国を支えたころ、産炭地・筑豊における交通の要衝であった同市だが、残念なことに咲き乱れる花々の美しさとは裏腹に、歪んだ市政が続いている。

 HUNTERが長期取材を通じてつかんだ、同市の実態を報じていく。


対照的なふたつの「駅舎」
 今月1日、工事中のために外観を隠されていた東京駅が、赤レンガ造りの姿を現して話題になっている。東京都の新たなランドマークが誕生したことになるが、旧東京駅が建設されたのは"大正期"である。

 gennpatu 504.jpgのサムネール画像一方、直方市では昨年、"明治期"に建設された貴重な駅舎が、保存を願う多くの声を無視して無残に取り壊されていた。
 解体の方針を決めたのは直方市の向野敏昭市長で、明治43年に建てられた歴史ある旧直方駅を、学術的な調査さえ実施せぬまま、"がれき"に変える道を選んでしまった。(右の写真、上が解体が始まった当初の旧直方駅舎、下は"がれき"と化した駅舎)

 旧駅舎は明治中期に建築された初代博多駅の一部が移築されたとの指摘もあり、文化財的な意味や旧産炭地を見つめ続けた産業遺産としても貴重なものだった。
 明治以来100年以上の歴史を刻んできた直方駅の旧駅舎は、「レトロ」の象徴的な建造物だっただけに観光資源としての価値も高かったはず。旧駅舎の保存を願う市民の声に、いくつもの根拠が存在したのは事実だ。

 しかし、解体を急ぐ市側と、保存を願う市民との意見調整はつかず、法廷での争いにまで発展。現在もその是非をめぐって論争が続いている。

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不透明な旧駅舎解体までの過程
 直方市が旧駅舎の保存を拒む理由は、"駅舎保存に多額の費用がかかる"というものだが、これは市政トップの無能さを宣伝しているに過ぎず、方針決定過程は極めて不透明だ。
 後述するが、旧駅舎を"がれき"にするという方針決定にあたっての根拠は乏しく、HUNTERが直方市に情報公開請求して入手した一連の文書からは、平成18年とされる解体方針決定時の決済文書を見出すことさえできななかった。政策決定過程に瑕疵があったことは明らかだが、市側に反省する様子はない。

2件の業務委託に注目
 gennpatu 114020066.jpg 一連の方針決定過程が杜撰だったことは、直方市側も認めている。
 例えば、旧駅舎保存の可否を検討するため平成18年に市が発注した「直方駅舎移転構想策定業務委託」については、指名競争入札(5社を指名し入札を実施)における指名業者選定をどのように行なったのか尋ねたが、「本委託での指名業者数を5名とした経緯及び業者選定の経緯については、当時の記録が残っておりませんのでわかりません」と回答している。
 説明責任が果せないということだ。

 公文書がなく、説明責任が果せない不可解な動きはまだある。 
 同年12月に直方市がJR九州系列のコンサル会社と契約した、「直方駅前広場実施設計および測量地質調査業務委託」の仕様書には、「あるいは既設直方駅の保存等を考慮することを考える」と指示しておきながら、成果品(設計図書および報告書)のどこを見てもこの指示に応じた記述はない。

 この点について確認したところ、直方市は「本委託では、『既設直方駅の保存』について検討しておりません。特記仕様の記述については、当時は移転構想の策定中であり、可能性として、広場内に一部を保存することもあり得たため、本委託での計画案立案の際に配慮が必要な項目として記載しています。結果として、既設直方駅の保存について、計画案策定での配慮は不要となったため、成果品に含まれていません」とメールで回答を寄こしている。
 しかし、旧駅舎保存についての《配慮は不要》とする根拠となった方針を正式に決済したのは、成果品が提出された2年半以上後のことだった。この間の流れを検証してみよう。

破たんした直方市の主張
 前述した「直方駅舎移転構想策定業務委託」を契約したのは平成18年10月16日。この業務委託が駅舎保存の可能性を探るためのものだったことは公文書上も認められる。
 業務委託の目的として《駅舎を歴史的産業遺産として存続を求める動きも出ており、活性化のために旧駅舎を新たに整備される駅前広場付近への移築や、別の場所での存続可能性や活用方法について検討を行う必要が生じた》と明記しているのだ。
 そのうえで、同業務の成果物(つまり報告書)の提出期限を、平成19年2月末と定めている。つまり、駅舎を残すかどうかの結論を出すのは、この業務委託が終了する平成19年3月以降でなければならない。

 前述した「直方駅前広場実施設計および測量地質調査業務委託」は、平成18年12月20日に契約。当初の成果品納期は、平成19年3月23日だったが、3回にわたる契約変更を経て最終的に平成20年3月21日となっている。
 
 直方市は、《既設直方駅の保存について、計画案策定での配慮は不要となった》というが、この市側の主張が正しければ、、駅舎保存の可能性を否定する方針決定は平成19年の3月から平成20年の3月までの間に行われていなければならないことになる。
 
 gennpatu 114020064.jpgしかし、この期間における方針決定の公文書は存在しておらず、公式に決済されたのは平成22年11月5日に作成された右の文書なのである(右の文書が、駅舎を解体し、一部のみを残すことを決めた時の決済文書。黒塗りと赤いアンダーラインはHUNTER編集部)。
 同文書では、《市の現駅舎の保存に関する方針として、車寄せ部分のみを移築保存することを市議会に表明し、新聞報道でも発表している》としながら、改めて決済を求めているのである。つまり、正式決済の前に議会で発表し、報道させていたことになるが、あくまでも正式な方針決済は「平成22年11月5日」なのである。
 まともな行政機関のやることではないが、前述した平成19年の3月から平成20年3月21日までの間にこうした方針を決めたとする公文書がないことは明らかだ。
 
 「直方駅前広場実施設計および測量地質調査業務委託」の報告書が、旧駅舎保存の可能性について言及していないのは、早い時期に直方市側がその必要性を否定していたからに他ならない。
 平成20年3月までの段階で《既設直方駅の保存について、計画案策定での配慮は不要となった》とする直方市の主張は、虚偽と言っても過言ではなかろう。

説明つかぬ「駅舎解体」の方針決定時期
 ところで、問題の平成22年11月5日付けの方針決済文書には、「平成18年」に解体の方針を決定し「公表した」としている。一体、同年のいつのことを指しているのだろう。
 直方市に確認したところ、平成18年4月1日に「市報」に都市計画案を公表したことを指すのだという。都市計画の中で、直方駅の再開発計画を公表し、旧駅舎を解体する方針を決めていたと言うのだが、"駅舎解体"という方針そのものに対する決済文書があるのか聞いたところ、市側は存在しないことを明言している。
 5日、直方市に再確認したが、平成18年に駅舎解体方針を決めた時の詳細を示す公文書が一切ないことを改めて認めている。

 都市計画上、旧直方駅が不要になったから解体して"がれき"にしてしまおうというわけだが、こうした方針を有識者や市民の意見を聞くこともなく決めてしまっていたのである。
 騒ぎになって、前述の「直方駅舎移転構想策定業務委託」を行なってはいるが、その後の頑なな直方市長の態度からして、旧駅舎保存の可能性をさぐったという「アリバイ」を作ったに過ぎない。
 いずれにせよ、誰が、いつ駅舎解体を決めたのかは不透明なままである。
 
駅舎保存費用「2億円~4億円」-適当な金額だった
 gennpatu 114020067.jpg直方市の杜撰な政策決定の証左は、まだまだ出てくる。 
 前掲の「平成22年11月5日」付け決済文書にも記されているが、直方市が旧駅舎を"がれき"にした一番大きな理由としてあげてきたのが、駅舎保存には「莫大な費用」がかかるため、財政上困難というものだった。しかし、同市の主張がいかに"いい加減"であるか、右の文書を見れば分かるだろう。
 
 同文書は前出「直方駅舎移転構想策定業務委託」の報告書の中の1ページだが、駅舎保存にかかる費用の概算をじつに大雑把に「2億円~4億円」としている。
 市側に確認すると、どうやって算出した数字であるかの説明はできず、細かく積み上げた金額ではないことを認めている。
 直方市は、積算根拠さえ示せぬ適当にはじき出された数字を基に、「莫大な費用」だの「財政的に困難」などと公表してきたということなのだ。

 歴史ある旧直方駅舎は、あやふやな政策決定過程の中で葬り去られたのである。

                        

つづく



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