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僭越ながら:論

「安全神話」の背景-記者クラブの弊害-

2012年2月16日 11:15

 じつは、原発を語る時に「安全神話」という言葉を用いることにはいささか抵抗がある。福島第一原発の事故が白日の下に晒したのは、「神話」と呼ぶには余りにお粗末な国や電力会社のデタラメぶりだったからである。
 
 さらに言うなら、「原発は安全」とする根拠についての検証を怠った大手メディアが、むやみやたらと「神話」を乱発することに疑問を感じるからでもある。
 原発推進の歴史や構図を作者不明の「神話」に仕立てることで、自らの責任をうやむやにしようという意図が透けて見えるのだ。これにはどうも我慢がならない。
 
 福島第一原発の事故以来、大半の大手メディアが原発を推進してきた政・官・業・学の勢力を「原子力村」として批判の対象にしてきた。しかし、原発反対を少数意見として片付け、積極的に「原子力村」の片棒を担いできたのはこの国の大手メディアだったはずだ。

 様々な批判を浴びたことで反省しているものと思っていたが、本質は何も変わっていない。その背景にあるのは、役所や大企業の発表を何の検証もなく垂れ流す報道姿勢であり、そこに組織された「記者クラブ」の存在だ。
 以下、報道の在り方について ― 。

相変わらず役所の「広報」
 sinnbunn2.jpgこのところ、HUNTERの本拠地である福岡市の市長が始めた市役所の改装工事についての疑問点を続けて報じてきた。
 気になったのは(と言うより『怒りを覚えた』と正直に述べた方が良いかもしれないが)、新聞各紙が改装工事の原資が市債発行、つまり借金によるものであることや、工事の妥当性について触れてこなかったことである。

 例えば、今月8日の地元紙朝刊では、前日に福岡市が公表した改装工事の概要を紹介しているが(左の記事は西日本新聞2月8日朝刊の紙面)、事業費の内訳や起債事業であることには一切触れていない。改装工事によって福岡市役所が情報発信の拠点となり、すばらしい場所になりますよ、と言わんばかりの市側の話を列挙しただけだ。

 この事業は翌年度まで続きがあり、厳しい財政事情を無視して事業費総額で2億数千万円、ことによっては3億円の公費が投入されるという愚行なのだが、記事は市側の発表内容を何の躊躇もなく垂れ流し、事業費の内訳や原資についてはもちろん、事業そのものの必要性さえ検証していない。他紙の記事も似たりよったりで、まさに市役所広報のオンパレードである。

 HUNTERがこの事業についての報道に踏み切ったのは翌9日。つまり、早くから検証作業に入っていたわけだが、この間、記者クラブの諸氏は何をやっていたのだろう?

 報道の使命とは、役所や大企業の発表内容を何の検証作業もなしに報じることではない。が、記者クラブ所属の記者による報道内容を見る限り、いまだに役所の発表を疑いもなく紙面に載せるという基本的な姿勢を変えていない。
 
 こうした報道姿勢が、原発安全神話の創造に一役買ってきたということに思いを至らせることはできないのだろうか。

不作為の罪
 原発立地自治体の政治家に原発の是非を論じる資格があるとは思えないが、報道する大手メディアも同様だ。原発の背景について検証することを怠ってきた「不作為」も、罪と言えるだろう。

 HUNTERでは、玄海町長や佐賀県、さらには鹿児島県の政治家たちの政治資金収支報告書や選挙運動費用収支報告書から様々な問題点を報じてきたが、行く先々の役所で異口同音に発せられるのは、「これまで(こうした書類を)見に来た記者はいなかった」という役人の言葉だった。
 つまり、大半の大手メディアは、原発に絡む政治家の一挙手一投足を追うばかりで、肝心の「背景」については満足に取材すらしていなかったということだ。

 一例を挙げる。
 昨年8月、玄海原子力発電所の立地自治体である佐賀県の古川康知事らの「選挙運動費用収支報告書」を閲覧するために佐賀県庁の選挙管理委員会に出向いた。すると、県選管の職員が、先に「県庁記者会」(いわゆる記者クラブ)と話をつけた方がいいと言い出した。

 選挙が執行された後、選管が選挙の要旨を作成して記者へのレクチャーが行なわれるが、佐賀県では要旨が作成されてレクチャーが終わるまでの数カ月間、どの報道機関の記者も報告書の閲覧を行わないのだという。
 
 実際、佐賀県庁の記者会クラブに所属する記者は、県知事選挙が行なわれた昨年も、「要旨」が公表された8月12日の時点までは1人として知事の選挙運動費用収支報告書を閲覧していなかったとされる。
 
 佐賀県知事の動向や九電との関係が注目される中、佐賀県庁記者クラブの面々は、知事の選挙におけるカネの動きさえ調べようとしていなかったことになる。

 佐賀県庁の記者クラブを訪ね、幹事社の記者にクラブ内で『抜け駆け禁止」の取り決めでもあるのかと確認したが、「各社の判断」と言う。
 
 現実に県選管の要旨の公表まで数ヶ月間、選挙運動費用収支報告書を見た記者はいないのではないかと尋ねると、「県が公表するするまでは前もって見れるわけではない」と言い出した。とんでもない間違いである。
 
 政治資金規正法を根拠とする政党や政治団体の「政治資金収支報告書」は、提出から数ヶ月間、総務省又は都道府県選管の定めた公表日まで閲覧が許されない。しかし、選挙運動費用収支報告書は、公職選挙法の規定で、選管が"提出を受けた日"から閲覧を義務付けているのだ。
 県選管による要旨の公表まで"見れない"とする幹事社の記者の解釈は、明らかに事実誤認となる。
 この点を指摘したところ、「言い方にカチンときた」と子どものような反論を始めてしまった。三大紙の記者にしてこの程度なのである。

 じつは、こうした記者クラブのぬるま湯的体質が「不作為」をもたらし、結果として原発立地自治体に巣くう政治家たちのやりたい放題を許してきたことは否定できない。
記者クラブの存在自体が、利権にまみれた原発の背景を読者に伝えきれなかった原因のひとつだったと言っても過言ではないのだ。

記者クラブ
 筆者は、記者クラブの存在がこの国をだめにした一因だと考えてきたが、3.11以後、その思いは一層強くなった。
 
 遊軍の記者が、所属地以外の首長や政治家の悪行を暴くたびに、組織を無視した行為として白眼視される実態を一般の読者は知らない。
 だが、大きな新聞社ほどその傾向が強く、縄張り根性に支配された体質は、官僚機構と何ら変わらない状況だ。

 縦割り行政やお役所体質を批判してきた大手メディアが、じつは一番陥ってはならない硬直した組織に成り果てているのである。
 
 それでも、社会部精神、遊軍魂を失わない記者たちが救いになっており、こうした記者たちを思う存分働かせようとする上司に恵まれた場合にだけ、読者の溜飲を下げる記事が掲載されているのが現実だ。
 ともあれ、諸悪の根源は記者クラブなのである。

 クラブ制度をなくさない限り、役所や大企業とメディアの「馴れ合い」は続くだろうし、問題が起きてからワーッと騒ぐ現状は変わらない

 次に検証されるべきは、原発立地自治体と記者クラブに癒着はなかったかという点であろうが・・・。
 



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