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産廃処分場立地調査への疑念

薩摩川内市産廃処分場問題(2)

2012年2月 3日 10:00

 鹿児島県が薩摩川内市で建設を強行している産業廃棄物の管理型最終処分場をめぐっては、建設地決定などの計画段階から不可解な動きが続いてきた。

 同市川永野地区にある処分場建設予定地は、「徐福伝説」で全国に知られた霊峰・冠嶽(かんむりだけ)の山麓にあたるが、東嶽、中嶽、西嶽の三山をもって成る冠嶽全体は薩摩川内市やいちき串木野市の貴重な水源地になっているうえ、近隣には集落もある。

 伊藤祐一郎知事は、なぜこの地を迷惑施設建設の場所に選んだのか?鹿児島県への情報公開請求で入手した文書からその答えを追った。初めに浮かび上がったのは立地調査内容への疑念である。
(写真は問題の処分場予定地)

薩摩川内市は処分場用地の認識がなかった! 
 gennpatu 945.jpg平成18年12月1日、当時の薩摩川内市長名で鹿児島県環境生活部廃棄物・リサイクル対策課長あてに1枚の文書が提出されていた(右の文書参照)。

 これは、県が同年5月に処分場建設を加速させるために設けた「公共関与型処分場対策協議会」(県職員だけで構成)の議論を受けて、県内の自治体に管理型処分場の候補地情報を求めたことに回答したものだった。
 
 回答文書には「該当ありません」。薩摩川内市としては、この時点において市内に管理型処分場の候補地は無いと判断しており、問題の川永野地区を処分場用地として認識していなかったことが分かる。

 しかし県は、前述した5月の協議会開催の少し前から、県内29か所について候補地調査を行なっており、その結果、薩摩川内市、いちき串木野市、蒲生町、肝付町にある4か所の土地に処分場候補地を絞り込んだという。

 これでは何のために県内自治体に情報提供を求めたのか分からない。考えられることはひとつ。処分場用地は早い段階から決まっており、県として、広く情報を求めた形を整えたかったということではないのか。
 開示された文書を見ていくと、さらにその疑念は膨らむ。 

 gennpatu 946.jpg「調査結果」捏造への疑念
 右の文書(赤いラインはHUNTER編集部)は、県内29箇所の調査地に対する「調査結果」を記したものだが、薩摩川内市の「隈之城」とは現在処分場建設が強行されている同市川永野のことだ。(注・本稿では、公文書の記載に従って『隈之城』として検証を進める)
 
 この調査結果にはいくつかの疑問点がある。
 まず、最終的に処分場用地と決められた「隈之城」の土地に対しては、調査内容7項目のうち5項目に「○」が付けられており、候補29か所の中では最も多い。
 
 しかし、文書の一番下、"*"印の一文には《調査結果の現況地質に表示がないものについては、目視のみの調査を行なった地区である》と記してあり、調査の杜撰さを物語る。
 目視で地質が分かるとは思えないし、他の候補地すべてで地質調査を行なったことを証明する文書もない。
 第一、1~2度確認しただだけで、管理型の最終処分場に適した地質であるかどうか見分けることなどできるはずがないのだ。

 さらに、「クローズドの検討」欄に、候補地29か所中、唯一「隈之城」だけが「○」と付けられていることもおかしい。
 
 "クローズド"とは、処分場を屋根や壁などで囲うか、完全に建屋などの中に入れてしまうという処分場の形態のひとつとだが、なぜ隈之城だけに「○」が付けられたのか判然としない。他の候補地でもクローズド型は可能だったはずなのだ。

 この調査結果は、意図的に薩摩川内市隈之城に「○」印を多く付け、あたかも他の候補地より処分場に適した土地であると見せかけるためのアリバイ作りの道具だった可能性が否定できない。さらに言うなら、"捏造"の疑いを打ち消すための候補地ごとの詳しい調査結果を示す文書もないのである。

処分場候補地の推薦者は「ゼネコン」
 最大の問題は、文書の「推薦の状況」欄にあった。
 蒲生町、肝付町の候補地は町が推薦した形になっているが、いちき串木野市の候補地は県が選んだもの。これに対し、薩摩川内市隈之城地区を推薦したのは「企業・団体」となっている。
 
 鹿児島県は、処分場用地として、行政機関ではなく民間の企業・団体が推薦した場所を選んだというわけだ。gennpatu 947.jpg
 
 県に確認したところ、「隈之城」を処分場候補地として県に"紹介"(県側説明による表現)したのは、鹿児島県の有力地場ゼネコン「植村組」グループだったという。どうもこのあたりからきな臭くなる。 

 右の文書は処分場候補地ごとの調査日を示した文書だが、前述したとおり県の照会に対し、薩摩川内市が「該当ありません」と回答する5か月も前から薩摩川内市隈之城の土地を再三訪れている。まるで県が、薩摩川内市の頭越しに候補地を狙い定めていた形だ。

 立地調査結果への疑念と合わせて考えれば、「植村組」グループから土地を紹介され、無理やりそこを処分場用地にしたという構図が浮き彫りになる。

 それでは、植村組グループが県に"紹介"したのは、どのような土地だったのだろう?

つづく



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