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脱原発テント村

2012年2月21日 09:55

 東日本大震災の発生と、それによって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故からまもなく1年が経とうとしている。

 原発を取り巻く状況は大きく変わったが、定期点検で休止中の原発再稼動に向けた動きが止まったわけではない。

 こうした中、「脱原発」を訴える人々の拠りどころとなっているのが、経済産業省や九州電力本社前に設置された「テント」の存在である。

 東京と福岡、それぞれの「脱原発テント」を取材した。

(写真は霞ヶ関にあるテント村。その奥が経済産業省のビル。)


gennpatu 997.jpg経済産業省前「脱原発テント村」
 原発推進の総本山・経済産業省前にテントが張られたのは昨年9月11日。当初は「九条改憲阻止の会」によって立ち上げられたが、現在は様々な立場の人々によって支えられているという。
 現在では脱原発のシンボル的存在とまでなっている「テント村」だが、ここが一躍注目を浴びたのは、今年に入ってのことだった。

 1月24日、経済産業省が同27日の午後5時までにテントを撤去するよう通告してきたことでマスコミ取材が殺到、27日当日には1,000人近い支援者が駆けつけ、テントの存在が全国的に知られる結果となった。

 テントには数人が常駐し、原発関連の動きについて情報発信したり、「脱原発」を目指す全国からの来訪者への対応を行っている。
 これまで、約1万5,000人の市民が同テントに足を運び、テントでがんばる人たちと原発について語り合ってきたとされるが、取材中も各地からの訪問者が後を絶たなかった。

 テント内で取材に応じてくれた市民たちは、一様に「再稼動阻止、廃炉が実現し、放射能に脅えずに暮らしていける国に変わることが一番の願いです」と語る。
 
 一方で、再稼動に向けての不気味な動きに、警戒感を隠さない。「国は、原発行政に対する明確な方針を示していない。ストレステストにしても、どういう基準で行っているのかまるで分からない。これで再稼動を認めろというのは無理な話だ」(神奈川県・会社社長)。

 多くの市民が原発反対のデモに参加し、テント村を訪れる背景には、国の原発行政に対する不信はもちろん、電力会社による数々の隠蔽や嘘があったことを忘れてはならない。

女性だけのテント
 経産省前の特徴は、女性だけのテントがあることだ。

 昨年10月、福島県の女性が中心となって原発再稼動阻止や、福島の救済を訴えて「女たちの座り込み」が行われ、約800人が参加したという。引き続き行われた全国の女性による7日間におよぶ座り込みと合わせると、約3,000人の女性が「脱原発」の声を上げたとされる。

 gennpatu 1007.jpgこの座り込みを契機に立ち上げられたのが女性だけのテントである。経産省前の脱原発のテントを「村」と呼ぶのは、このためである。

 代表して取材に応じてくれた椎名千恵子さん(写真)は福島県出身。大震災発生までは宮城県丸森町で「山里刻(やまさと どけい)」という体験型の民宿で女将をしていたのだという。

 椎名さんは、昨年10月に行われた女性だけの座り込みで経産省前のテントを知り、「この場所を失ってはいけない」と自らテントを設置することを決断している。
 
 椎名さんは言う。「市民が自分の『脱原発』の気持ちを確かめて、多くの人たちとつながっていく場所は大切にしなければいけないと思ったんです。デモに参加できない人も、ここに来て話をすることはできます。ここ(テント村)は、そういう場所なんです。だから失くせない」。
 キッパリと言い切った時は、穏やかな表情のなかにも固い決意が浮かんでいた。 椎名さんをここまで突き動かしているのは何か聞こうとしたが、質問を口にする前に「今、私たちが動かなければ子どもたちを守ることはできないですよね」と機先を制されてしまった。

 取材中もひっきりなしに架かってくる電話や来訪者に、じつに丁寧に対応する姿が印象的だった。

 経産省前のテント村は、多くの人に支えられて、設置から160日を越えた。

原発とめよう!九電本店前ひろば
 gennpatu 1018.jpg玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)と川内原子力発電所(鹿児島県薩摩川内市)を有する九州電力の本店前には、「原発とめよう!九電本店前ひろば」のテントが設置されている。

 テントが立ち上げられてから260日が経過したが、「脱原発」に向けての活動自体は取材した2月20日の時点で、306日におよぶという。

 代表者の青柳行信さんは、テントを拠点に「脱原発」を訴える一方、昨年11月に行われた「さよなら原発!福岡1万人集会」でも中心的役割を果し、当日の集会に1万6,000人もの参加者を集める原動力となった。
 
 青柳さんは次のように話す。「九州のことだけで言えば、昨年12月25日で九電管内の原発6基がすべて止まっています。それでも停電はないというのが現実です。私たちの世代はもちろん、子ども達の世代のことまでしっかりと考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。原発再稼動を許さず、廃炉へと進むことが一番望ましい道だと信じています。日本全国で『原発ゼロ』が実現するといいですね」。

 九電前のテントは、九州はもちろん「脱原発」を願う全国の人たちが訪れる場所となっており、原発に関する情報交換やそれぞれの活動について話し合うのだという。

 テント内には、若い世代の人たちも数多く訪れており、「脱原発」の動きが世代を超えて加速していることを実感させる。

避難者の受け入れ支援も 
 青柳さん.jpg特筆すべきは、東北・関東方面から避難してくる人たちの受け入れを支援していることだ。
 
 行政機関は、罹災証明を交付された人(家族)だけを支援対象と見なしており、これ以外は避難先の世話どころか相談にも乗っていないのが現実だという。
 青柳さんら「原発とめよう!九電本店前ひろば」では、放射能被害を恐れて九州に来る人たちの相談に乗り、居住先などを探すなどの支援活動を続けている。
 これまで50人前後の受け入れを行っており、硬直化した行政の隙間を埋める形となっている。
 
 青柳さんたちの次の目標は、今年3月11日に福岡市中央区の須崎公園で開催を予定している「さよなら原発!3・11福岡集会」を成功させることだ。
(写真はテント設置から79日目のテントの様子。パソコンの前が青柳さん)

テントの意義
 現在、HUNTERが把握している「脱原発テント」は、経済産業省前と九電本店前の2箇所である。
 
 国の敷地や公道上にテントを設営することに疑問を持つ向きもあるというが、2箇所のテントが「脱原発」を主張する人たちの拠りどころとなっているのは紛れもない事実である。
 
 人間の手で制御できない原発を「絶対に安全」と騙し、豊かな自然を破壊したり、カネの力で地元民を懐柔してきた国や電力会社が文句を言える筋合いではない。
 
 「脱原発」を真剣に願い、何かアクションを起こそうとする人たちにとっては、実在するテントがひとつの道標になっており、「そこに在ること」で十分な存在意義を発揮している。生活や個人的な娯楽を犠牲にして「脱原発」を訴える人々の心情を汲み取ることは、私たちや子どもたちの未来を考える上でも必要なことだ。

 原発については、経済界を中心に「それでも推進」と主張する人たちもいる。しかし、便利さや豊かさと引きかえに多くの命を犠牲にする可能性を残すことが、果たして理性にかなったことなのだろうか?

 これまでHUNTERは、利権にまみれた九州の原発立地自治体における実態を詳しく報じてきたが、取材対象も話の内容も暗く澱んでいた。
 
 多くの市民が集うテントには、少なくとも明るい希望があるのは確かである。東京と福岡、ふたつのテントが「脱原発」でつながっている。



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