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僭越ながら:論

 「信なくば立たず」 

2011年12月28日 11:55

 今年の漢字は「絆」。日本漢字能力検定協会が毎年実施している1年を表す一文字である。
 
 東日本大震災を経て、人と人との結びつきがいかに大切か、改めて感じた1年だった。
 
 「絆」を保ち続けるために不可欠なのは「信頼」ということになるだろうか。人間同士はもちろんだが、国家と個人、企業と個人の間に「絆」があるとすれば、それも「信頼」によってつながれている ― はずであったが、政治や行政そして電力会社は、自ら国民との絆を断ち切るような失態を繰り返している。

原発「安全神話」の崩壊
 胡散臭さを感じながらも、政・官・業・学で構成された"原子力村"の言う「日本の原発は安全」を信じてきた国民。だが、福島第一原発の事故が、こうした虚構を木っ端微塵に打ち砕いた。
 少数意見と見なされてきた反原発派の主張が正しかったことを証明した形で、原発に関し国や電力会社の話を頭から信用する人間を探すことさえ難しい状況となった。
 
 それでも電力不足を盾に、原発の維持を求める意見は絶えない。戦後の焼け跡から立ち上がり奇跡の発展を遂げた国が、わずか数%の電気が足りない程度で瀕死の状態になるとは思えないが、またぞろ一部のメディアは電力会社や政府の主張を何の検証もなしにタレ流しはじめている。
 電気と命のどちらが大切か、まだ分からないのだろう。

 来年の春以降、定期点検のため停止中の全国の原発は、経済産業省や財界の目論見どおり、順次再稼動していく可能性が高い。背景に原子力村の蠢動があるのは言うまでもないが、あまりに早計である。
 今月26日、政府の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎 東大名誉教授)による中間報告が出たが、真相究明にはなお時間がかかると見られる。福島第一の事故原因については、いまだに謎が残されたままなのだ。

 「信頼」を失った原発に対し、NOと言える環境を整備することが政治に求められているはずだが、霞ヶ関のコントロール下にある野田政権に期待するのは無駄のようだ。
 もはや国内では通用しなくなった「安全神話」を、国外に輸出してひと儲けしようというのだから、空いた口が塞がらない。
 
 放射能をまき散らす事故を目の当たりにしながら、「電力不足」の一事をもって再稼動を進めるというのなら、もはやこの国の思考は停止したに等しい。
 そこにあるのは「信頼」や「絆」といった言葉ではなく、「欲」の一文字に過ぎない。

東電、九電 地に堕ちた電力会社の信用
 福島第一の事業者である東京電力は、電力業界はもとより財界においてもトップ企業として君臨してきた。しかし、3月11日以後の同社の迷走は、営々と築き上げてきた地位や社会的信用が音を立てて崩れていく過程でもあった。同社が事実上国営化されることなど、誰が予想していただろう。
 
 だが、事故調査・検証委員会の中間報告に異論を唱えるなど、東電の体質は変わっていない。隠蔽、虚偽、開き直りと、この会社の悪い部分が白日の下にさらされたにもかかわらず、福島第一の事故と真摯に向き合うことさえできないでいる。地域独占の公益企業であることが"電気がなければ暮らせまい"という驕りを生んでいたということだ。
 
 電力会社への不信を増幅させたのは、「やらせメール事件」をめぐる九州電力の対応だった。
 
 玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼動に向けて経済産業省が主催した説明番組に、賛成意見のメールを送るよう指示していたことが発覚。これを発端に、プルサーマル発電に関する県民説明会でのやらせなど、九電による世論操作が常態化していたことが明らかとなった。犯罪行為と言ってもおかしくない愚行だが、九電の会長、社長は辞任を拒否。自らが設置した第三者委員会(元委員長・郷原信郎弁護士)の報告書まで否定するに至って、同社の信用は一気に崩れ去った。
 
 ここにきて九電社長が辞意を表明したが、同社の信頼回復につながるとは思えない。国会で辞任の意思を明らかにしながら、直後にこれを撤回した人間の言うことを素直に聞くほど世の中は甘くないのである。
 
 一部地元紙は、辞任表明を「規定路線」だったとして苦しい社内事情を報じているが、"また始まった"というのが実感だ。
 
 東電、九電をはじめ電力各社が国民との間に信頼を取り戻すことは難しく、「人心一新」でことを済ませられる状況ではなくなっている。
 
地方自治体の闇
 原発をめぐっては、再稼動への鍵を握る「立地自治体」の闇が浮き彫りとなった。

 玄海原発の地元・佐賀県玄海町では、町政トップの岸本英雄町長の実弟が社長を務める地場ゼネコンが電源3法交付金による公共事業や九電関連の工事を独占。稼ぎの一部を町長に還流させる仕組みがあることを報じたが、この状況は現在も続いている。
 
 やらせメール事件で表面化した古川康佐賀県知事と九電の親密な関係については、改めて説明するまでもないだろう。

 川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の立地自治体である鹿児島県では、原発増設の決定時と同じような住民無視の行政運営が続いている。

 薩摩川内市で県が進める産業廃棄物処理場建設では、疑惑まみれの事業計画を隠蔽し、県庁職員を大量に動員して地元住民を弾圧するという暴挙に及んでいる。
また、鹿児島市内で計画が進む県営住宅建設に関しても、不透明な事業の進め方が問題になっており、こちらも隠蔽や情報操作が横行している。
 いずれも伊藤祐一郎知事の独裁が招いた事態だが、同知事には「政治とカネ」の問題もつきまとう。

 原発立地自治体に拡がる「闇」は深いが、こうした政治家たちに原発の是非を論じる資格があるはずがない。原発については、広範な意見の集約を図るシステムを構築しない限り、「信頼」は生まれない。

大手メディアへの不信
 大手メディアへの不信も拡がっている。電気事業連合会(電事連)や電力各社の広報費用は莫大なものだったが、新聞やテレビがその恩恵を受け、原発推進に一役買ってきたのは事実だ。
 
 東電や政府の会見での発表をひたすら追い続ける姿勢に、疑問を感じた国民は少なくなかったことだろう。さらに大震災発生にともなう福島第一原発の事故の当初、テレビや新聞には原発事故を過小評価するいわゆる御用学者が多数登場。その後の展開によって姿を消したことも不信感を増してしまった。
 
 原発立地自治体の首長や議員たちに原発交付金がらみの疑惑が報じられた後も、なぜかその政治家たちに原発再稼動についてのコメントを求め続けている。滑稽としか言いようがない。

 メディア側にも「信頼回復」に向けた報道姿勢が求められているのではないだろうか。

政治への不信
 この国に絶望感をもたらしている第一の要因は、永田町や霞ヶ関の存在であることを明言しておきたい。
 
 民主党が政権を取って2年。有権者に「民主」と書かせた時の高揚感や期待感は一切なくなり、怨嗟の声さえ上がる始末だ。
 公約撤回だけにとどまらず、増税、TPPと国民が望んでもいなかったことを平然と進める神経は、どうにも理解できない。「コンクリートから人へ」と言っておきながら、政権交代の象徴となった八ッ場ダムの建設を推進する方向に転換。さらには長崎新幹線をフル規格で建設するのだという。わずか10分の旅程短縮に数千億円の税金が消えることになる。
 もはや「公約違反」程度の話ではなくなっているのだ。

 民主党では、年末になって離党者が出始めており、来年に向けて政界再編を睨んだ動きが始まったとする見方もある。
 
 ある民主党関係者は次のように語る。「これ以上の公約違反は絶対に認められない。増税もTPPもデフレを悪化させるだけの愚かな策。野田首相は、霞ヶ関に取り込まれており、歴史に名を残すことしか考えていない。政治家として譲れない一線を越えており、民主党の旗の下で総選挙を戦うつもりはない。年が明けたら新党への動きが顕在化する」。

 政治や行政に加え、暮らしを支える企業への「信頼」が失われた1年だったが、望みを託すとすれば国民の多くが「絆」の大切さを認識していることだろう。
 そして政治や行政が国民との「絆」を強めるには、「信頼」を得るための捨て身の努力が必要となる。

 「信なくば立たず」。あらためてこの論語の格言をかみしめたい。



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