小川洋福岡県知事が、特許庁長官時代に経済産業省内部の裏金をめぐる事件で懲戒処分(戒告)を受けていたことが、経済産業省に情報公開請求して入手した公文書によって確認された。
処分は、小川知事が平成8年から9年にかけて大臣官房企画室長の立場にあった間、同室の裏金を銀行口座に入れて管理していた責任を問われてのもの。「裏金管理人」として認定され、懲戒処分を受けた形だ。
知事は処分を受けた翌月に特許庁長官を退任していた。
かつて裏金問題が県政を揺るがした福岡県で、「裏金管理人」を知事に据えていたことになる。
経済産業省裏金事件
HUNTERが経産省から情報開示を受け入手したのは、同省の裏金問題に関する一連の公文書。
これらの文書などによれば、平成17年、当時の経産省幹部が同省官房企画室長の職にあった期間に、企画室にプールされていた裏金を私的に流用し株式売買を繰り返していたことが発覚、同幹部が諭旨免職になった。
裏金そのものについても、弁護士らによる省内調査を経て小川知事を含む歴代企画室長3名や関係職員ら合計33名が処分を受けていた。
裏金は、日本自転車振興会の補助金を財源とする調査研究業務を行なっていた同省の外郭団体「財団法人 産業研究所」(以下、産研)の研究にかかる残余金を、事業を所管する企画室が長年にわたって管理していたもので、歴代室長や職員らはこの事実を知りながら放置していたとされる。
同省が設置した弁護士3人による「外部調査委員会」による『調査報告書』によれば、受け継がれていた裏金は、小川知事が企画室長に就任した平成8年から10年にかけて、裏金が預金されていた口座(一次口座)から、新たに開設された「FUP研究会 小川洋」名義の新規口座(二次口座)など三つに分散して移され、歴代室長の下で管理されていたという。
「FUP研究会」という名称が、産研に関連する研究会ではなく、企画室で便宜的に命名したものだったことも明らかにされており、小川企画室長時代に新たな隠蔽を行なった形だ。
報告書は、歴代室長はじめ関係職員の一連の行為について、次のように結論付けている。
《歴代関係者のかかる行為は、問題を先送りした挙句、これを裏で処理しようとし、その後再び問題の先送りに戻ったとも評すべき一連の対応であり、ここには国家公務員としての問題解決に向けた真摯な姿勢が見られず、極めて不適切な行為であったと言わざるを得ない》。
同報告書には、事件発覚当時、特許庁長官だった小川知事も調査対象として事情を聞かれたことが明記されている。
懲戒処分直後に特許庁長官を退任
報告書の提出を受けた経済産業省は同年8月、当時の事務次官と大臣官房長を減給、現職の企画室長や歴代室長などに訓戒処分を下すなど、懲戒9名、内規処分24名にのぼる大量処分を行なっていた。
【参考条文:国家公務員法第八十二条】
職員が、次の各号のいずれかに該当する場合においては、これに対し懲戒処分として、免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる。
一 この法律若しくは国家公務員倫理法 又はこれらの法律に基づく命令(国家公務員倫理法第五条第三項 の規定に基づく訓令及び同条第四項 の規定に基づく規則を含む。)に違反した場合
二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
知事は、処分が発表された直後の平成17年9月、特許庁長官を退任していた。
ちなみに小川知事が選挙時に使用したパンフレットやビラのプロフィール欄には、「大臣官房企画室長」の記載は一切ない。
問われる福岡知事としての適格性
福岡県では平成8年、総額約60億円にのぼるカラ出張などによって捻出された裏金の存在が暴かれ、県政を揺るがす事件に発展。その後、信頼回復までに長い道のりを要してきたという歴史がある。
また平成21年には、県町村会の裏金で副知事ら県幹部が接待を受けていた事実が表面化。その後、贈収賄事件にまで発展し、元副知事や県町村会会長らが逮捕・起訴され有罪判決を受けている。
麻生渡前知事が初当選したのは平成7年。就任早々、事件の解明や県庁改革に精力を費やす事態となったことから、裏金問題の深刻さは人一倍理解していたはず。
加えて町村会事件では、町村会の裏金を受け取った右腕の副知事が、収賄で有罪判決を受けている。
一方、古巣である経済産業省の裏金事件を同省出身の麻生前知事が知らぬはずはない。さらに麻生前知事は、京都大学から旧通産省、特許庁長官と、まったく同じコースを歩んだ後輩の小川氏が、裏金にからんで懲戒処分を受けていたことも十分認識していたはずだ。
麻生前知事は、こうした事実を踏まえたうえで小川洋氏を後継指名したのである。
福岡県は、「裏金管理人」という最も相応しくない経歴を持つ人物を県政トップに選んだことになるが、候補者選定の過程で小川氏を推したのは、麻生前知事と麻生太郎元首相のダブル麻生。そして福島第一原発の事故をよそに政治に首を突っ込み、小川氏擁立の立役者になったのは、九州電力会長の松尾新吾氏だった。
いずれもコンプライアンスとは無縁の方々のようだが、麻生渡氏による長期政権の歪みが顕在化していた県庁にあって、裏金の管理をしていた小川氏が適任であるかどうかの判断もつかなかったということになる。