福岡県直方市(向野敏昭市長)の行政事務に重大な瑕疵があったことが判明した。
同市は、JR直方駅前の再開発にからみ、歴史ある旧直方駅の駅舎解体を強行していたが、解体を決めた時の方針決済文書を作成せぬまま、事業を進めていたことがわかった。
駅舎保存を願う市民の声を無視したうえ、行政としてのあるべきプロセスを欠いたまま、貴重な文化遺産を破壊させたことになる。
方針決定時の決済文書、存在せず
HUNTERは10月中旬、直方市に対し、旧直方駅の駅舎保存に関して検討した市内部の記録と、駅舎解体を決定した時点の方針決済文書を開示請求した。
これに対し、31日に開示された文書は、市が業者に委託して作成させた「直方駅舎移転構想策定業務 報告書」(以下、「報告書」)と、市がJR九州との間で結んだ「補償契約書」だけ。
「報告書」は、駅舎保存の方向性について、業者が検討事項に関するデータや問題点を列挙した程度の内容で、学術的な考察は一切ない。開示請求時に要求した市内部の検討過程を記した文書も存在しておらず、同市の旧駅舎に対する冷めた姿勢が伝わってくる開示結果となった。
問題は、旧駅舎を解体すると決定した時点の市内部の方針決済文書が不存在だったことである。
方針決済文書を請求したのに対し、市側が該当文書として提示したのはJR九州との間に結んだ「補償契約書」。平成20年に結ばれた同契約書は、JR九州の所有する旧駅舎等の建物などを、直方駅前の再開発事業(正式名称:『直方駅地区交通結節点改善事業』)の支障とならないよう、JR側に《撤去又は除去》することを求め、市が補償金として一定の金額を支払うというもので、方針決定時の決済文書ではない。
市側の説明によれば、解体(契約書の表現は『撤去又は除去』)費用を市が負担することを取り決めた契約書には、"対象物件"として「直方駅舎」(注:旧駅舎を指す)と明記されており、これをもって方針決定文書とみなすものと考えたという。
しかし、「契約書」は旧駅舎解体という方針決定が行なわれた後のJR九州への意思表示であり、市内部の行政事務がどのように進められたのかを説明できる文書とは言えない。
請求したのは、何時(いつ)、誰が、どのような形で旧駅舎解体を直方市の方針として決定したのかがわかる公文書で、この方針決定文書なくして、いきなり旧駅舎の解体費用を負担するなどという契約書には結びつかないはずだ。
市の担当職員に、旧駅舎解体を決めたのは、市長ひとりの判断か、あるいは何らかの会議だったのかを尋ねるが、まったく要領を得ない。
担当職員でさえ、正式に旧駅舎を解体するという方針決定時のことを承知していない状況だ。
直方市は説明責任を果たすための文書を残しておらず、行政事務としては、重大な瑕疵があったということになる。杜撰な市政運営が、歴史的な直方市の遺産を消滅させた形で、市長の責任は極めて重いと言わざるを得ない。
旧駅舎解体をめぐる動き
直方市では今年、JR直方駅の新駅舎が完成。開業にともない、旧駅舎の取り扱いを巡って保存を願う市民と解体を強行しようとする市側の調整がつかず、司法の判断を仰ぐ事態となっていた。
(写真は、解体作業が始まってすぐの旧駅舎)
市民側が旧駅舎保存を訴える根拠は、旧駅舎が明治43年に建てられた歴史ある建造物であることに加え、明治中期に誕生した初代・博多駅の一部が移築されたものとの指摘があることだ。
さらに旧駅舎は、明治中ごろから産炭地交通の要衝として栄えた直方を支えてきた、いわば時代の生き証人でもある。
文化財的な重要性に加え、旧産炭地を見つめ続けた産業遺産としても一級の価値がある建造物だった可能性が高い。
折から、同市では「直方レトロ」と称して市内に点在する古い建築物を活かした新たなまちづくりを進めており、"旧駅舎をその象徴に"との声は当然のことだったと思われる。
一方、市側は旧直方駅舎の「博多駅移築説」を否定してきたが、学術調査などの正式な形で駅舎の価値を検討した事実はない。
唯一、検討の証しとして示されたのは、平成17年に市が業者に委託して作成させた前述の「直方駅舎移転構想策定業務 報告書」と題する36ページ足らずの報告書だけ。
業者が作成したデータと問題点の羅列が、市内部の「検討」にあたるとは思えず、この点でも直方市の意思決定過程の不透明さを露呈した形だ。
直方市は、10月に入って、旧駅舎保存を望む市内外の声はもちろん、司法の判断さえ無視して解体工事を始めていた。
写真のとおり、31日の時点で旧駅舎はすっかり解体され、車寄せ部分が無残な姿をさらしている。