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陸山会事件判決への疑問

2011年9月28日 09:20

 民主党・小沢一郎氏の元秘書ら3人に対するいわゆる「陸山会事件」で、東京地裁の1審判決が下された。
 
 執行猶予付きではあるが有罪。永田町を含めて大手マスコミも小沢氏の責任追及に余念がない。いつもながら新聞の紙面やテレビの論調は大同小異である。
 
 小沢氏に対する好悪は別として、この国の司法のあり方や事件に対する向き合い方には疑問がある。
 
推定無罪
 日本の裁判は三審制だ。一審で有罪判決を受けても、控訴審で逆の判断を下されることも少なくない。もちろん最高裁が、高裁までの判決をひっくり返す場合もある。
 確定するまでは「推定無罪」のはずだが、逮捕、起訴、そして判決といった節目ごとにあたかも刑が確定したかのように大騒ぎする。
 
 とくに小沢一郎氏に対する騒ぎ方は尋常ではなく、判決前から罪人扱いが続いている。道義的・政治的責任と法的責任とは明らかに別のものだが、この国の報道では厳然とした区別がつけられていない。
 こうした現象は、小沢氏が大手マスコミの「飯の種」となっているからに他ならないが、マスコミには犯罪を裁く権限など与えられていないはずだ。
 
 三審制をもっとも尊重すべきは、立法府である国会だと考えるが、こちらもお構いなしに「議員辞めろ」と騒ぎたてる。
 法秩序を守るという観点に立てば、自身が罪を認めている場合を除き、「無罪」を主張する被告人に対しては三審制の原則を貫くべきである。

 疑いを持たれたことを自責し、議員を辞めるかどうかは小沢氏本人が決めることで、"こいつはクロだ"と勝手な法的解釈を加えて辞職を促すことは明らかな間違いだ。
 
起訴状一本主義
 刑事訴訟法は、その第256条で次のように規定している。
《起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない》。
 
 これは、裁判官が公判前に被告人についての予断を抱かぬよう、公訴の提起にあたって検察官が提出するものを「起訴状」だけに限定し、それ以外の文書や証拠の添付を禁じたもので、「起訴状一本主義」といわれる。
 
 日本でこの起訴状一本主義の原則が守られているかといえば、必ずしもそうでないことは、大事件での報道内容を見れば瞭然。
 逮捕、起訴に至る過程で、検察リークと思われる証拠や供述内容が報じられ、いやでも裁判官の目に入る状態なのだ。
 この点でも日本の法秩序は守られていない。

懸念
 陸山会事件の東京地裁判決は、積み上げられた証拠が乏しかったばかりか、捜査段階で取られた供述調書の多くについて、証拠能力を認めず却下した上で下されている。

 検察捜査のあり方を厳しく断罪したはずの裁判所が、ほぼ検察側の主張を認めた形だが、判決文には「推認」「不自然」という言葉が何度も出てくる。
 
 判決自体が裁判官の推測や心象のみで構成されたことを示しており、証拠第一主義とは程遠い内容だ。
 
 こうした判決が評価されることで生じるのが「冤罪」への懸念であることは論を俟たないが、背景に過剰なマスコミ報道があることを指摘しておきたい。

 *報道ではわずかなコメントしか紹介されていないが、判決後に出された小沢弁護団の言い分を掲載する。

秘書事件判決コメント  三秘書事件判決コメント



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