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僭越ながら:論

無責任政治が生む「無関心層」

2011年7月27日 07:50

 これほど「政治への関心」が失せた時代があっただろうか。高低の差こそあれ、いつの時代でも国民の政治への関心は存在した。
 自民党一党支配に対する怨嗟の声が充満しても、政治とカネで永田町が揺れても、1年足らずでコロコロと宰相が代わっても、政治に対する「関心」だけはたしかに在った。
 しかし、東日本大震災以後に現出した政治のあまりのふがいなさが、国民から政治への「関心」を奪い去ろうとしている。いまや国民の政治を見る目は"虚ろ"でさえある。




民主党の無責任100603_1613~01.JPG
 平成20年夏の政権交代は、政治への期待が最高潮に達した瞬間だったが、民主党の幼稚な政治手法が、間を置かずして失望感を招いてしまった。
 埋蔵金の枯渇などによる財源創出の失敗、展望なきマニフェストの見直し、混迷をつづけた沖縄の米軍普天間基地問題等々、失態を数え上げればきりがないお粗末な政権運営ぶりだ。鳩山前首相や小沢元幹事長の「政治とカネ」の問題も、国民の民主党離れを招いた大きな要因のひとつであることは間違いない。

 政治不信に拍車をかけたのは、東日本大震災に対する政府の無策ぶりで、復旧・復興や福島第一原発の事故を、政治主導で解決することに失敗してしまった。
 とくに原発問題をめぐる朝令暮改ぶりは目に余る。突然、浜岡原発を止めたかと思ったら、運転休止中の原発の再稼動を進める方針を打ち出し、経済産業相が玄海町長や佐賀県知事に再稼動容認を要請。しかし、その数日後には菅首相の発案でストレステストの実施を決め、再稼動要請の根拠となった原発の安全性に政府自ら疑問符をつけた形となった。
 この間、復興の指揮を執るべき立場の松本龍前復興相が辞任するなど混乱が続いている。

 一方、震災対策に「一定のメド」がついたら辞めると表明したはずの菅首相は、自ら「一定」のハードルを上げつづけ、未だに居座った状態。もちろん、国会が正常に動くはずがない。
 
 民主党のある国会関係者は「補正予算関連などの本会議などは開かれているが、ほかはまったく動いていない。多くの国会議員は、上京してグループ内の会合やちょっとした会議に出る程度。居座った菅さんをどうすることもできず、手をこまねいている状態。震災復興に本気で取り組んでいるのは被災地選出の議員ばかりではないか。これでは国会はいらないと言われても仕方がない」と自嘲気味に話す。
 たしかに、各地の原発再稼動問題などでも、民主党国会議員の発言は聞こえてこない。
 佐賀県在住の50代の主婦は、「原口一博さんなどの佐賀県の国会議員は、なぜ玄海原発の問題で発言しようとしないのでしょう。民主党の議員は九電労組におもねる姿勢がみえみえ。こんな連中に税金で高い給料を払う必要はないですよ」と手厳しい。
 政党支持率が自民党の半分近くにまで落ち込んでも、かつてのダイナミックな動きは陰を潜めたまま、もはや政党としての体さえ成していない。責任感ゼロの政党に何かを期待するほうが無理ということのようだ。「テレビ画面に菅首相の顔が映し出されたとたん、チャンネルを変えたくなる」(福岡市在住、50代男性会社員)。「自民も民主もダメ。もう政治は結構。興味が持てん。国会議員やらおらんでも何も困らんよ」(同、40代女性)というコメントに、うなずく人も多いだろう。
 かくして「無党派層」ならぬ「無関心層」が生まれる。
 
原発を推進した自民党の無責任100_8072.JPG
 原発を「国策」として推進してきたのは自民党である。電力各社と自民党の間には、カネと票をからめた密接な関係が存在してきたことは明らかで、「脱原発」で自民に何かを期待するのは無理な話だ。
 電源3法交付金による原発立地自治体の懐柔策を作り上げたのは故・田中角栄元首相だが、カネ(原資は電気料金だが)で地域ごと買収する手法がどれほど地方を蝕んできたかは、原発マネーで歪んだ佐賀県玄海町の実状を見れば分かるはずだ。
 自民党の政治資金団体「国民政治協会」への電力各社の役員らによる多額の献金からは、「癒着」という言葉しか浮かんでこない。
 原発の「安全神話」は、政・官・業・学の合作によるものだが、「政」の主役は紛れもなく自民党なのだ。こうした過去について、党としての見解さえ明らかにせぬまま政争に明け暮れる姿に、国民の共感が集まるとは思えない。
 
 民主党の凋落と反比例して支持率が上がった自民党だが、同党が民主党から政権を取り戻すことには、多くの国民が危惧を抱いているのではないか。理由は、虎視眈々と復興利権をねらう輩が暗躍し、再び「土建国家」に戻ることが予想されるからだ。税金を使った公共事業を餌に、建設業界から票とカネを吸い上げてきた同党の政治手法が作り上げた国の形は、土建国家というより「収賄国家」と呼ぶにふさわしい。再び、同じ過ちを犯すことがあってはならないはずだ。
 
 国会論戦での同党議員による口汚い野次は、とても子どもに聞かせられる代物ではなく、建設的な議論など皆無の状態だ。政権奪取に固執するのは政党政治の常とはいえ、党を超えて震災復興に力を尽くす姿勢は見えてこない。
 久留米市の会社社長(60代、男性)は次のように話す。「昔の自民党は重厚だった。イケメンでもなかったし、口も重かったが、『国家』とは何かを真剣に考える政治家がたしかにいた。安定感もあった。利権漁りに長けた国会議員が増え始めてから日本の政治はレベルが下がった。自民党は狡猾だが、政治家としては自民党議員も幼稚だよ。国会中継など見たくもない」。

「無関心層」増大の危うさ
 2大政党制は、現政権や与党に対する不満を、選挙で他方の政党に委ねることで解消することができるとの考えは甘かったようだ。末期の自民党もひどかったが、期待された民主党はさらに政治不信を増大させた。危険なのは、国民の「政治不信」がさらに進み「無関心」へと変わっていくことだろう。
 「無関心」は、つまり政治や行政に対する監視の弱体化を招来することにつながりかねず、国が荒廃する前兆とも考えられる。決して看過すべき状況ではないのだが、自民、民主に取って代わる政治勢力はいまのところ見当たらない。公明党の福祉政策には共感する部分もなくはないが、国会で多数を占める勢力にはなり得ない。
 みんなの党をはじめ、その他の政党にしても、2大政党の隙間に咲いたあだ花的存在で、飛躍的に党勢を拡大することは困難な状況だ。
 
 民主・自民の闘争は、とても切磋琢磨とは言い難いものだ。結果、「無関心層」が増え続けることがこの国にとっての最大の不幸になるのだが・・・。



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