九州電力・玄海原子力発電所の再稼動に向けた動きが加速しはじめた。この国の原発行政に大きな影響を及ぼすことが必至な事案であるにもかかわらず、国民は傍観者の立場に追いやられている。
同意権者とされる玄海町や佐賀県についての情報さえ満足に知らされぬまま、唯々諾々と再稼動を認めるのは間違いだ。
原発マネーと玄海町
自身が大株主として君臨するゼネコンの社長を実弟に務めさせ、会社の施設は使い放題。国や佐賀県から天下りを受け入れ、多くの公共事業を受注、さらに九電のカネや電源3法交付金といった原発マネーで潤ったゼネコンの金で町政を支配する。
12名しかいない町会議員の半数前後は、町長選挙で運動員になって堂々とカネをもらい、原発推進の姿勢を鮮明に打ち出す。町民は雇用と豊富な交付金でがんじがらめにされ、町政批判を口に出すことさえはばかられる。
原発の町・佐賀県東松浦郡玄海町の、それが実態だ。
なぜ「玄海原発」なのか
カネでひとつの自治体を「買う」ということが、この国では平然と行なわれてきたわけで、その結果、福島第一原発の事故と多くの人々がふるさとを失うという現実を生んだ。
福島の事故は、定期検査のため休止していた全国の原発の再稼動を阻んでいるが、玄海原子力発電所については事情が違う。
再稼動の鍵を握るとされる岸本英雄・玄海町長は、原発利権の中心人物であるうえ、県政トップの古川康知事の父は、玄海原発の事業者である九州電力の元社員。このふたりが原発を止めるような決定を下すはずがない。
だからこそ、国は玄海を原発再稼動の嚆矢にしようと目論んだのであり、玄海の動きが全国へと波及するよう仕向けてきたのである。
メディアの不作為
乗せられたメディアは、玄海町長や町政の実態といった背景を検証することさえなく、町長のコメントをもらうことに血道を上げてきた。
玄海町で、町長や町議らの選挙運動費用収支報告書や資産公開資料、さらには公共事業に関する公文書を閲覧するたび、役場の職員は異口同音に「こんなこと(取材・閲覧)をされるのは初めてですから」。
つまり、どこの取材陣も玄海町の実相を追うという基本的なことを怠ってきたのである。メディアの不作為と言っても過言ではあるまい。
「玄海町と佐賀県が同意すれば再稼動」。九電や国が勝手に決めたそのルールに、反論するメディアも皆無だ。
福島第一原発の事故のあと、原子力発電の是非を判断することは、周辺自治体はもちろん、国民共有の課題となっているのではないか。
さらに言うなら、原発の利益を享受してきた自治体や人物に、国や私たちの未来を左右する資格があるのか?
判断材料を提供する責務は、メディアが負っているはずだ。
玄海町や佐賀県の腐敗は深刻である。玄海原発のさらなる危険性も存在する。玄海町長や県知事がOKを出そうと、運転再開を容認してはいけない。
明日から、そのことを証明する事実を報じていく。
原発推進は国策だと言うが、主権者は「国民」なのだ。