これだけお粗末な政治であるにもかかわらず、この国が国家としての体裁を保っているところを見ると、主権者たる国民の程度は相当に高いものだと改めて感じ入った。
辞任時期めぐり早くも内戦
2日、内閣不信任案をめぐる狂騒が、直前まで不信任案に賛成すると明言していた鳩山由紀夫前首相と菅首相らの密室協議で終わりを告げた。もう1人の主役・小沢一郎氏は肝心の本会議を欠席し敵前逃亡。野党を巻き込んだ菅追い落とし劇は、国内だけでなく国際社会からも冷笑される結果となった。
「一定のメドがついたら」辞任するという菅首相だが、同日夜の会見では「(原発が)冷温停止するまで」と具体的な時期を示唆。福島第一原発の事故が「冷温停止」するメドさえ立っていない状況では、早期辞任を否定した発言としか受けとれず、6月中か遅くとも7月までには辞任するはずと明言した鳩山氏と執行部との間で非難合戦が始まった。民主内戦の再開である。
「覚悟」なき政治家たち
被災者無視の政治劇は責められて当然だったが、著しく当事者能力を欠く菅首相が復興という大事業を担うのは無理だとする見立ては間違っていない。強力なリーダーシップを持った人物を首相に据え、新たな国の方向性を示したうえでの復興を軌道に乗せるまでの間、野党も含めた挙国一致内閣を組織するという手法は「あり」だったと思われる。
批判はあろうが、そのための不信任案賛成なら、一定の意味を持つ「覚悟」としてあきらめもついた。
この国の不幸は、そうしたまっとうな覚悟もなく、復興をただの権力闘争に利用しようとしてはしゃぎまわる政治家しかいなかったことだ。
そうではないと言うなら、少なくとも不信任案に賛成することを表明していた政治家たちは、最後まで「信念」を貫くべきだった。筋を通すことができない政治に信頼が寄せられるはずがない。「信なくば立たず」だ。
不信任案を提出した自民・公明はさておき、この機に乗じて菅首相を退陣に追い込もうとした小沢氏や鳩山氏をはじめ、「造反」を公言していた政治家たちの筋の通らぬ姿勢には怒りさえ覚える。
鳩山・原口
とりわけ目についたのが鳩山由紀夫氏と原口一博・前総務相の無節操さである。
小沢氏を頭目とするグループが、与党の一員として否決すべき不信任案に「賛成」すると言い出したのは、震災対策の稚拙とリーダーシップの欠如があらわな首相を替え、国難を乗り切ると言う大義名分があったからだろう。目的は「退陣表明」をさせることでも、民主党を守ることでもなかったはずだ。現に、鳩山氏は2日朝の段階でも不信任案への賛成を明言し、「国民のため」と言い切っていた。
であるにもかかわらず、宇宙人氏は、ほんの30分密室で菅氏と話し合ったとたん、不信任案「否決」へと舵を切り、採決直前の代議士会で、とうとうと「変心」の経過を並べたてた。「ぶれる宇宙人」の本領発揮である。
鳩山氏のあとに続いたのが同じく不信任案への賛成を公言していた原口氏で、国民を愚弄する密室劇に評価を与えたうえで、「否決」への流れをつくる重要な役回りを演じてみせた。
このパフォーマーは、本会議のあとの取材に対し、次の首相選びについて聞かれ「私は逃げない」と大見得を切った。くさい田舎芝居である。
「鳩山の変心」予言した真紀子氏
じつは、採決前日の1日夜、鳩山氏の裏切りを的確に予言し、小沢グループのひよっこたちに警告を発した人物がいた。田中真紀子氏である。
複数の民主党議員の話に寄れば、田中氏は、不信任案可決の見通しに高揚する小沢グループの会合に姿を見せ、「鳩山はブレる。信用してはいけない」と強く主張したとされる。結果はそのとおりになった。
突き放される原口氏
一方、原口氏については、「ブレた宇宙人」の弁明演説につづいて発言する同氏の姿に、多くの議員が呆然となったという。小沢グループの多くは、代議士会が開かれていた間、都内のホテルで「囲い込み」となっており、テレビを通じてこの顛末を見ていたのだ。
ある民主党議員は「もともと原口は一匹狼。人間性には疑問を感じるし、仲間も少ない、評判がよくないのは確か。彼が『逃げない』と言っても、推す人間がいなければ党の代表にはなれない。原口とは話もしたくない」と突き放した。
別の民主党関係者は、「菅さんの辞任証明のあと、鳩山、原口がマイクを握るという段取りまで決まっていた。『茶番』の一言で片付けるには醜すぎる結末だった」と内幕を語るが、失った政治への信頼は取り戻せない。
政治不在
永田町の騒ぎをよそに、国民の日常は休むことなく営まれている。被災地では復旧・復興に向けた動きが進む。政治不在でも日本は日本であり続けているのだ。
つまりは、国会議員がいなくても困らないということで、不信任案をめぐる政治劇は見事に「政治不在」を証明して見せたことになる。
この国を支えているのが政治家ではなく、「国民」であることは間違いない。