政治・行政の調査報道サイト|HUNTER(ハンター)

政治行政社会論運営団体
僭越ながら:論

九電 玄海原発啓発施設に99億円
揺れる「心 夢見るアトムの町」
~原発の行方~

2011年5月27日 10:46

 いまだ収束の見通しさえ立たない東京電力・福島第一原子力発電所の事故。日が経つにつれ放射能被害の実態が明らかにされるなか、政府や電力会社の安全対策の杜撰さが次々と浮き彫りになった。
 放射能拡散予測システム「SPEEDI」、放射能モニタリングロボット、緊急事態応急対策拠点施設「オフサイトセンター」・・・。どれも巨額な税金投入を行なって整備しながら役に立たなかったものばかりだ。東電の狼狽ぶりや隠蔽体質については改めて述べるまでもないだろう。

 あきれるばかりの失策の原因が、原発の「安全神話」に立脚した甘さにあったことは否めない。
 「リスクは大きいが原発は必要」と言うべきところを、「事故は起きない(リスクはない)。原発は必要」と断定してきたことが、福島第一原発をめぐる事態を招いてしまった。そして、同じことは全国の原発施設でも起きるということだ。

 リスクと向き合ったうえで、それでも原発を認めるのかどうか、問われているのはそのことである。
 改めて佐賀県玄海町にある九州電力・玄海原子力発電所を訪れてみた。

玄海エネルギーパーク
玄海エネルギーパーク 写真は佐賀県玄海町の九州電力・玄海原子力発電所に併設されている「玄海エネルギーパーク」である。
 広大な敷地内には体験型施設「サイエンス館」と「九州ふるさと館」のほか、子ども達が楽しめる遊具が整備された緑化広場などもある。子どもから大人までが原発を身近に感じる仕掛けを満載しているのだ。

 同施設は主として玄海原発の啓発(九電によれば『エネルギーのPR』)を目的として平成12年に建設されたもので、建物の吹き抜け部分には実物大の原子炉模型を据え、シアターホールや展望ルームなども備えている。
 原子炉の構造や玄海原発3号機で実施中のMOX燃料を使ったプルサーマル発電、さらには原子力発電や放射線について、展示物などを使って分かりやすく説明する仕組みだ。
 毎月第3月曜日 (第3月曜日が祝祭日の場合はその翌日)と年末年始(12月29日~1月2日)をのぞき、朝9時から夕方5時まで来館者を受け入れており、年間20万人もの人が訪れるという。
 希望者にはガイドが付き、館内を回りながら玄海原発の概要や原子力についての説明をするという親切さだが、これだけ充実した内容の施設でありながら、利用料金は1円も取られない。来館者の案内などの運営には九電の子会社があたっているが、スタッフの人件費や施設の維持費だけでも相当な支出になると見られる。
 この「玄海エネルギーパーク」は、九州電力の資金で建設・運営されてきたものだが、投じられた総工事費も半端な金額ではなかった。

総工事費は99億円
 九電の説明によると「玄海エネルギーパーク」の建設や周辺整備に投じた金額は、99億円にのぼるという。これは施設の建設当時から公表されてきた金額でもある。
 九電は、玄海原発の安全性を広報するために、ばく大な費用をかけてきたということだが、水力や火力の発電にこれほどの広報予算を使ってきた事例など聞いたことがない。
 巨額な原発啓発予算が意味するのは、原発の必要性・安全性を無理やりこしらえなければ受け入れてもらえなかったということ。つまり「安全神話」は金で作った虚構なのだ。
 金と時間をかけて作り上げた「安全神話」が、東日本大震災という自然の驚異によって一瞬のうちに崩れ去ったのは周知のとおりだ。虚構の対価にしては高すぎたと言わざるを得ないが、よく考えるとこれほどばかばかしいことはない。

 玄海エネルギーパークの建設費や維持費は九州電力の資金、つまり、利用者が支払った電気料金ということにほかならない。私たちがせっせと払った電気料金は、原発安全神話という虚構をつくるために使われ続けてきたということになる。知らぬ間に共犯にされていたようなものだ。その挙げ句が放射能被害ということになれば、泣くにも泣けない。

 九電のホームページから検索可能なかつてのプレスリリース資料には「玄海エネルギーパーク」について《「玄海エネルギーパーク」は玄海原子力発電所の敷地の総合整備を図るとともに、原子力やエネルギーについて、お客様が見て、知って、遊べる、楽しいPR施設として整備を進めているものです》と明記していた。
http://www.kyuden.co.jp/press_h000127a-2.html
 福島第一原発の事故がもたらした現実とは、あまりにかい離した文言である。
 九電は、崩壊した「安全神話」に金をかけるより、電力料金を引き上げないで済む努力をすべきではないのか。

アトムの町「心 夢見るアトムの町」~玄海町の看板~
 ところで、玄海原発の近くで、もうひとつ現実にそぐわぬものに出くわした。
 唐津市から玄海原発に向かう道路の同町入り口付近に立つ「心 夢見るアトムの町」の看板である。

 看板の「アトム」とは漫画「鉄腕アトム」とAtom(原子)に由来するのだろうと勝手に想像したが、あまりのむなしさに、それ以上の素性を詮索する気にはならなかった。
 巨匠・手塚治虫が誕生させた「鉄腕アトム」の動力源は原子力とされており、同じように原子力を利用して発電する施設を抱えていることではたしかに玄海町は「アトム」の町である。しかし、「心 夢見る」という文言が、福島第一原発の事故後、どれほどむなしいものになったか、論ずるまでもない。
 それどころか、福島第一原発の事故で伝来の土地を追われ、避難生活をおくる被災者にとっては容認できない表現だろう。
 少なくとも福島県では、原子力発電に関して「心 夢見る」ことは未来永劫ないと言える。

看板は語る
 国は、原発立地自治体とその隣接自治体に、過剰な交付金をばら撒いて原子力への反発を押さえ込んできた。国策推進のために費消された税金は天文学的な数字になる。
 九電をはじめ電力会社も、電気料金の稼ぎの多くを原発啓発や地元対策に投じてきており、その典型例が前述の「玄海エネルギーパーク」や、報じてきた福島第一原発の事故を過小評価したパンフレットである。
 「安全神話」が崩壊したいま、原発啓発に金や労力をかけるのは無意味だ。

 佐賀県玄海町も多額の交付金を受けてきたことに違いはなく、「心 夢見る」時代が続いてきたことは否定できまい。だれもが心の片隅に「本当に大丈夫なのか」という恐れを抱いたまま、「心 夢見る」の文言に騙されたふりをしていたのかもしれない。
 この看板には大切な前置きが欠けていたのだ。
 「事故がなければ―」。この一節さえあれば、看板はもっと意義があるものだったに違いない。恐れは恐れとして認識したうえで、「心 夢見る」状況と向き合うべきなのではないか。
 原発によってもたらされる恩恵とリスク。福島第一の事故はリスクがすべての恩恵だけでなく地域の現在や未来までも葬り去ることを教えている。
 それでも原発が必要なのか。答えを出すのはこの国の主権者たる国民である。



【関連記事】
ワンショット
 ガラスの向こうに積み上げられた洋書。オシャレな入り口の奥...
過去のワンショットはこちら▼
記事へのご意見はこちら
調査報道サイト ハンター
ページの一番上に戻る▲