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早稲田・慶応が失った建学の精神 ~文科省天下り問題

2017年2月17日 09:05

1-慶応早稲田.jpg 「天下り」はいまに始まったことではないが、法律で禁止された後に、堂々とそれをやっていたというのだから開いた口が塞がらない。しかも、組織的に天下りのあっせんを行っていたのが「教育」を司る文部科学省。子供たちに合わせる顔があるまい。
 一方、天下りを喜んで受け入れた早稲田大学と慶應義塾大学。建学の精神を忘れた私学の雄は、共に堕ちるところまで堕ちたということだろう。

■早稲田の「在野精神」、慶応の「独立自尊」 
 文科省前高等教育局長の早稲田大学への再就職は、出身官庁の職員による天下りあっせんを禁じた国家公務員法に違反する疑いがある。官僚OBを使ったあっせんや事が露見してからの隠蔽が組織的だったことが分かっており、確信犯的な“違法行為”は明らかだ。違法な天下りは、早稲田に続いて慶応でもあったとされ、進展次第で、他の大学にも波及しそうな状況となっている。最高学府と監督官庁の慣れ合いの構図が、日本の教育を蝕んでいるのは確かである。

 文科省の腐った体質には驚きもなかったが、早稲田、慶応の両私学には落胆した。早稲田大学の前身は、1882年(明治15年)に設立された「東京専門学校」。創設者は、2度にわたって内閣総理大臣を務めた大隈重信だ。1902年(明治35年)に現在の校名「早稲田大学」に改称されて以来、「学問の独立」という建学の精神は、脈々と受け継がれてきたものと思っていた。「学問の独立」は、早稲田を象徴する「在野精神」や「反骨の精神」につながる言葉。官の言いなりに役人を受け入れるようでは、在野精神・反骨の精神などあったものではない。早大の基本理念とされる「早稲田大学教旨」には、≪早稲田大学は学問の独立を全うし≫とある。監督官庁の言いなりに再就職先を提供したことは、権力に左右されない≪学問の独立≫を否定する愚行である。

 同じことは慶応にも言える。慶応義塾の開設は、東京専門学校(早稲田の前身)より30年ほど早い1858年(安政4年)。1万円札の顔として世に知られる福沢諭吉が江戸に開いた私塾が始まりだ。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」は、福沢が『学問のススメ』に記した一文である。慶大の基本精神は「独立自尊」――(権力に盲従せず、自己の尊厳を保つこと)――だが、天下りの受け入れは、その精神とは真逆の行為であろう。

■問われる「官」との関係
 早稲田や慶応が雇ったのは、「天下り」の言葉が示すように、天=お上側の人間。国の役所は「官」と呼ばれる。官は、太政官の「官」である。古くは律令の時代に遡る制度で、明治初期に復活した。明治期の太政官とは、国内の全役所を統括し、内閣制度の発足まで国に関する全ての権限を握っていた中枢機関だ。自治、外交、司法、警察――太政官は、近代日本において最強最大の権力機構だったと言えよう。霞が関を官庁街、そこで働く役人を官僚と呼ぶのは、霞が関が太政官を引き継いだ存在であるからに他ならない。学校経営のためとはいえ権力にすり寄る両大学の姿勢には、「在野精神」や「独立自尊」といった建学の精神は微塵も感じられない。霞が関の天下りを受け入れるということは、対峙すべき相手の軍門に下るということなのだ。

 天下りは、官僚が退職後の就職口を確保するため、役所の権限を悪用して民間にポストを求める行為である。受け入れる民間側には、役所から便宜を図ってもらおうという、さもしい心理が働くものだ。官僚OBを通じた「便宜供与」が疑われるのは当然だろう。早稲田も慶応も私学助成金を受け取る側の大学。文科省に睨まれると、様々なマイナスを抱え込むと考えたに違いない。そこに付け込む官僚こそ最大の悪なのだが、建学の精神を守るというのなら、違法な天下りはキッパリと断るべきだった。早稲田と慶応は、歴史から言っても別格の私学。大隈や福沢がかけた「学問」への思いを、今一度心に刻むべきだ。



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