安倍政権になって死語になりつつある言葉がある。「民主主義」「立憲主義」「平和」そして「地方分権」だ。「地方創生」などと叫びつつ、その実中央集権化を進める首相にとっては、権力の移譲などもってのほか。日本が軍事国家として発展するには、地方の意向など気にしていられないからだ。沖縄に対する冷淡さは、その表れとみるべきだろう。
まさに強権政治。地方政治家にとっては踏ん張りどころのはずだが、現実は政権にすり寄る輩ばかり。国にモノをいう首長もめっきり減って、地方分権は遠のくばかりだ。
九州最大の都市、福岡市も例外ではない。政権べったりの高島宗一郎市長のもと、「国の方針」に従順な市政が、市民の暮らしに影を落とし始めている。(写真は福岡市役所)
「国の方針」で補助打ち切り
“国の意向より地元の民意”――これを体現している首長といえば、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に真っ向から反対する翁長雄志沖縄県知事と、原発再稼働に異を唱え続けている泉田裕彦新潟県知事くらいだろう。その他大勢は、政権の方針に黙って従うだけ。国の下請け首長がいる自治体に限って、「国が、国が」と言いつのり、独自性のある施策を一方的に打ち切るようになる。福岡市がそのいい例だ。
福岡市は今月、生活保護世帯に対する負担軽減策の一部を、来年度中に廃止する方針であることを明らかにした。行革の一環として、生活保護世帯に対する下水道使用料、集落排水処理施設使用料、し尿処理手数料の減免措置を止めるのだという。
生活保護は、厚生労働大臣が定める基準で計算される最低生活費と収入を比較し、収入が最低生活費に満たない場合に、最低生活費から収入を差し引いた差額を支給するもの。扶助の種類として、生活扶助、住宅扶助、教育扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助があり、収入の少ない世帯が生活を営む上で必要な費用として支給されている。一部に安易な受給や制度の悪用といった問題はあるものの、生活に困窮する母子家庭や高齢者などにとっては、最後の望みとなっている。
福岡市の減免措置廃止は、厚生労働省が下水道使用料、集落排水処理施設使用料、し尿処理手数料を「生活保護費を構成する生活扶助の光熱水費に含まれる」との見解を示したからだというが、厚労省はその「生活扶助」そのものを来年度から引き下げる方針。さらに、住宅扶助費も減額されることが決まっており、生活保護世帯の暮らしは厳しくなる一方だ。
「国の方針」――その一言で市独自の施策を打ち切る例は、これだけではない。福岡市は今年、来年4月から国が実施する「子ども・子育て支援新制度」のスタートにともなう処置として、市独自の施策として保育所に支出してきた長時間保育手当と研修費及び被服手当といった補助を廃止する方向であることを表明。認可保育所の団体である市保育協会をはじめ多くの関係者から、補助打ち切りに反対の声が上がる事態となっている。
市が廃止する生活保護関係の減免措置には約3億4,000万円、保育所補助には約5億円が支出されてきたとされる。「国の方針」が地域の実情に合致しない場合もあるはずで、一般会計予算で8,000億円近い財政規模の福岡市なら、別の形で補助を続けることも可能なはず。長く続けてきた施策にはそれなりの理由があったはずだが、市は「国の方針」を盾に再考を拒む構えだ。おそらく、福岡市のトップには、地域の歴史や市民の暮らしが見えていない。
政権べったり
高島市長が熱を上げているのは、安倍政権が打ち出した「国家戦略特区」。昨年、特区指定を受けた後、ひたすら特区がらみの仕事に力を入れている。だが、対象はこれから起業するというベンチャーばかり。福岡を支えてきた既存の中小・零細企業に対する施策は皆無と言ってよく、高島市政のおかげで市民の暮らしが上向いたという話も聞いたことがない。目立つことには精を出すが、地に足の着いた市政運営がお嫌いな市長。出張ばかりで市役所に居る時間が少ないせいか、市民の暮らしがまるで見えていない。これでは「地方分権」など夢のまた夢だ。
高島市長の初当選は2010年。タレントアナウンサー出身だけに「情報発信」が売りだったが、この市長が「地方分権」の必要性を訴えたことなど聞いたことがない。ご本人のブログなどで確認してみたが、≪高島宗一郎 地方分権≫で検索して拾えたのは市長がTwitterでつぶやいた下の文言だけだった。
このつぶやきは2012年3月31日。「地方分権、道州制導入に備えて、福岡市もより自立性の高い、筋肉質な行政体になる必要があります」とあるが、とくに地方分権の必要性を強調しているわけではない。振り返ってみると、市長が「地方分権」についてその必要性を語ったという場面など記憶にない。政権べったりの市長が、国に「権限よこせ」と言うはずがないのだ。
安倍政権の実態は、中央絶対の強権政治。憲法を歪め、民主主義を否定して平然としている政権が、地方の声に耳を傾けるはずもない。「地方分権」が遠のくにつれ、苦しくなるのは弱者。すでに福岡市では、その兆候が現れている。