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大雪と「二・二六事件」の時代

2014年2月18日 09:30

 関東地方を襲った記録的な大雪。交通機関はマヒし、車のスリップ事故が多発、ケガ人も多数出た。多くの人が「こんな大雪は記憶にない」と口を揃える。
 過去の積雪記録を確認していると、ネット上であることが話題となっているのに気付いた。≪こんな大雪は二・二六事件以来じゃないか≫――宮城県仙台市で78年ぶりの積雪と報じられたからだ。
 二・二六事件は78年前の2月。都心の大雪と右傾化著しい現在の日本の状況から、この事件を想起する人が少なくないのだろう。
(写真は積雪で覆われた東京都内の模様)

大雪の原因は「南岸低気圧」
 2月8日と14日、関東地方では2週連続で記録的大雪となった。気象庁によると、東京都心では戦後4番目の多さとなる27cm、また埼玉県の秩父地方では1926(昭和元)年から観測史上最高となる98cmの積雪を記録したという。

 鉄道は各社運転見合わせや間引き運転が相次ぎ、ダイヤが大幅に乱れた。15日午前0時半ごろには、横浜県川崎市の東急東横線元住吉駅で、停車していた渋谷発元町・中華街行き普通電車に、後続の渋谷発元町・中華街行き電車が追突。衝撃で後続電車の先頭車両と2両目が脱線し、それぞれの電車に乗っていた乗客がケガをした。
 東名高速道路も一時、車が立ち往生して40kmに及ぶ大渋滞が発生。交通マヒは丸一日に及んだという。
 一般住宅にも被害が及んだ。各地でガレージの屋根が崩落した家が続出。筆者が普段の通勤に使う道路沿いだけでも、わずか600mほどの距離で5件ほどのガレージが、度重なる積雪の重みで半壊もしくは全壊していた。

 今回の大雪の原因は、日本列島の南海上を発達しながら北東に進んだ「南岸低気圧」。その動きが遅かったことも要素となり、関東・近畿地方を中心に強風を伴ってまとまった雪を降らせたという。最低気温が気象庁の予想をわずかに下回ったことも、大雪につながったと見られている。

 東京都の過去の大雪記録(月最深積雪)を見てみると、1位46cm(1883年2月8日)、2位38cm(1945年2月22日)、3位36cm(1936年2月23日)となっている(気象庁調べ)。ちなみに2014年の今回は、27cmで8位にランクインした。このなかで、「二・二六事件以来」と言われているのが、1936(昭和11)年の大雪だ。

何が78年前を想起させるのか
 二・二六事件とは、日本の陸軍皇道派(天皇親政の下での国家改造を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した一派)の青年将校らが、1,483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件のこと。1936年の出来事だが、このとき陸軍省所管予算の削減を図った当時大蔵大臣の高橋是清元首相が、軍部の恨みを買い暗殺された。

 この直前の1931年、世界恐慌の余波で日本は不況となりデフレの真っ只中。それを高橋蔵相がリフレーション政策によって脱却させていたが、同時にインフレ発生を予見し、出口戦略として「軍縮」を図っていたといわれる。

 二・二六事件は、第二次世界大戦に向かう右傾化の象徴的な事件として扱われるが、実は現代の状況が当時と似ているのではないか――そう感じる人々が、この大雪に何となく「二・二六事件」を重ねているようだ。

 折しも、安倍政権は戦前回帰に向けてまっしぐら。際たるものが「憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認」と、その先にある対外的軍事力の増強だ。

 経済状況も似ている。リーマン・ショック以来の不況を脱したと評される(かもしれない)「アベノミクス」に、高橋是清によるリフレーション政策との類似点を指摘する識者もいるくらいだ。

 1923年の関東大震災と東日本大震災(2011年)。1925年の「治安維持法」と昨年制定の「特定秘密保護法」。さらに、1930年代は中国の対日感情が悪化し、排日運動が盛んになった。翻って現代、日本国内では排韓のヘイトスピーチが展開されており、尖閣諸島をめぐって対中感情も悪化している。対中・韓との関係は最悪だ。

 雪の二・二六事件の前後と今の日本の状況はたしかに似ている。今回の大雪が、「いつか来た道」を想起させたのは間違いあるまい。もちろん、「いつか来た道」は戦争とその時代。懸念で終わることを祈りたいが……。

<嵯峨 照雄>



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