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ゴルフ場開発失敗 ツケは市民に
-直方市 上頓野産業団地を追って(5)-

2012年9月10日 11:10

土地売買契約書 直方市の財政を圧迫することになった上頓野産業団地の造成事業は、前市長時代に必要性が低い広大な土地を取得したことに最大の問題がある。

 直方市はなぜムダな土地を買ったのか?

 取材を通じて見えてきたのは、大手企業がおかした失敗の尻拭いを市民に押し付けた身勝手な市政の有り様だった。

金剛開発の正体
 直方市土地開発公社に90ヘクタールもの土地を買い取らせた「金剛開発」とはどのような会社なのか。会社設立から解散までを追うと、この組織自体がダミーだったことが分かる。

 同社の設立は昭和48年11月。開拓地だった直方市上頓野地区一帯を地元の企業である「直方観光開発」が買収しはじめた直後である。
 古い会社登記簿で確認したところ、設立時の本店は、直方観光開発の本店と同じ住所(同市上新入)に置かれており、目的は“ゴルフ場の経営”となっていた。
 直方観光開発の土地買占め、そして金剛開発の設立は金剛山の麓に位置する上頓野地区にゴルフ場を造成することにあったのである。

 その後、金剛開発の本店は大阪市北区の旧富国生命ビルに移されているが、この住所は前稿で触れた川鉄商事(現・JFE商事)の関連会社「川商不動産」(平成14年に解散)と同じものだった。
 登記事項について調べたが、金剛開発の歴代の代表取締役はすべて川商不動産の役員らが務めていた。金剛開発が川商不動産のダミー会社だったことは明らかである。

 昭和40年代、川鉄商事グループは各地でゴルフ場開発を手がけており、昭和47年からは川商不動産が静岡県富士川町(現・富士市)でリバー富士CCの造成工事を始めていた。ここでの事業主体は「富士川開発株式会社」である。

頓挫したゴルフ場開発
 昭和50年に直方観光開発から川商不動産に移転した上頓野一帯の土地の所有権は、昭和62年になって金剛開発の名義に変わる。バブル期の最中にあたるが、なぜかゴルフ場建設は進まなかった。
 その後も事業展開が図られることはなく、平成8年に直方市が金剛開発の土地を買い取るまで、所有権などは変更されていない。
 まとまった土地を手に入れながら20年間かけてもゴルフ場が建設されなかったことは、計画が頓挫したことを物語っている。
 背景にバブル経済の破綻があったのは言うまでもない。

 そして平成8年、当時の有吉威直方市長は、唐突に問題の金剛開発の土地を約7億円で買収することを発表する。大手企業によるゴルフ場開発失敗のツケを市民に押し付けた形だ。

口閉ざす関係者
 直方市が金剛開発の土地を買収した裏には何があったのか?確認しようにも金剛開発や川商不動産の元役員に直方市在住の人間はひとりも居ない。
 全国に散らばった元役員らを訪ね歩くしかなかったが、主な関係者は転居していたり、接触しても取材拒否にあうことがほとんどだった。
 上頓野地区の土地買収にもっとも深く関わり、一時は上頓野に住所を置いていた金剛開発の元社長は、兵庫県川西市に自宅があったが、数年前に引越ししており、近所の住民の中に転居先を知る人はいなかった。

 そのほか、大阪府、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県と関係者を訪ね歩いたが、現在も平成8年当時の住所地に住んでいたのは3人に過ぎなかった。
 ただし、何度か訪問しても不在。電話しても取材要請の手紙を出しても何の音沙汰もないままだ。
 このうち、千葉県在住の元金剛開発社員は、直方市土地開発公社に個人名義の土地を売却していたが、たまたま在宅していた元社員の身内は、「えっ、福岡で土地を持ってたんですか」と驚きを隠さなかった。

 関係者一同に、金剛開発の土地売却について緘口令が敷かれているとしか思えない。
 状況は直方市も同じで、土地買収時の職員はおおかた退職しており、平成8年当時の詳しい事情が分かるのは、現市長の向野敏昭氏くらいなのだとういう。
 土地買収時の市長は有吉威氏(元直方ガス社長)だが、実際に土地買収の実務を行った市土地開発公社の理事長は現市長の向野敏昭氏だったのである。

 これまで向野市長には4度にわたって取材を申し入れてきたが、上頓野産業団地に関する件には答えられないとして、一切の取材を拒否している。
 また、すべてを知る有吉元市長は、体調不良を理由に取材には応じられないとしており、関係者すべてが口を閉ざすという異常事態となっている。

「すべては川商の指示」
 取材が難航する中、関西地区に住む元役員から話を聞くことができた。その概要は次のようなものだった。
・たしかに金剛開発にしばらく籍を置いた。登記上だけの話。現地に行ったこともない。
・川商不動産からの出向だったが、詳しい内情は知らなかった。会社を辞める直前だった。
・金剛開発は川商不動産の子会社みたいなものだった。その上に川鉄商事があった。
・ゴルフ場開発を目指したが、うまくいかなかった。カネもかかるということで売却先をあっちこっち探したが、見つからなかった。
・当時の責任者(元社長)は川商不動産の人間。土地売却の交渉は元社長がやっていた。自分は何も分からない。
・自分が土地を売ったことについても、何も知らない。会社(川商不動産)がやったことだから。

 この元役員は平成8年当時、上頓野の土地の一部を所有し、市土地開発公社に売却していたのだが、その経緯についても知らないという。すべて川商不動産の指示でことが動いていたとしており、土地売却の裏は分からないままだった。

地元古老の話
 関係者が口をつぐむ中、直方市の古老から興味深い話を聞いた。古老はこう話す。「最初に上頓野一帯の地主を回っていたのは川鉄商事の人間だった。ゴルフ場を造るという話だったが、多くの地主が“大手企業のやることだから”と信用して土地を売った。やって来ていたのは川商不動産ではなく『川鉄商事』の社員だった。だから信用した。
 その後、開発に失敗して土地が塩漬けになって、市が買うことになったが、市に売却をあっせんした人間は亡くなってしまったから、事情を知るのは有吉元市長ぐらいだろう。裏に何かあったのは間違いない。そのころ直方市に特別な計画があったわけではないから。有吉さんがいなければ上頓野の土地は売れなかったと思う」。

 川商不動産と有吉元市長の間にどのようなやり取りがあったのかは定かではない。しかし、元市長の一存で土地買収が進められ、当時公社の理事長に就任していた向野現市長が契約書に判を捺したのは事実だ。

不透明な土地取得
 直方市が90ヘクタールもの土地を取得した経緯は極めて不透明だ。報じてきた通り、確固たる目的があって土地買収に踏み切ったものでもなく、平成8年の土地取得以後、上頓野産業団地の造成計画が進みだす平成18年ころまでの10年間、件の土地は眠ったままとなっていたのである。

川商不動産からのファックス そもそも、平成8年の市公社による土地買収自体が胡散臭い。
 同年の土地売却契約が川商不動産主導で進められた証拠が存在する。(右の文書参照。赤い書き入れと黒塗りはHUNTER編集部)
 直方市および市土地開発公社への情報公開請求によって入手した土地売買に関する決済文書には、契約書案(その後原案通りに契約)が添付されていた。
 その契約書案のすべてのページの左スミには、『´96-12-09 13:52 カワショウフドウサン KK』と印字が残されたままなのだ。
 つまり直方市側は、契約相手の金剛開発ではなく、川商不動産の作成した契約書案通りに正式契約を結んでいたということになる。
 契約はこのFAXが送られた4日後の平成8年12月13日だった。

 川鉄商事という大手企業グループが手がけたゴルフ場開発失敗のツケは、企業側主導で市民に回されたと見るべきだろう。
 川鉄側の願いを聞き入れ、無計画に土地を買った当時の市長と現市長に責任があるのは言うまでもない。 

 結果、20億円以上の公費を投入した挙げ句、7億円の収入しか生まないという、収支を無視した公共事業が進められたのである。

 昨年、歴史ある旧直方駅舎を解体し、がれきに変えた直方市は、“財政難”を駅舎保存断念の理由に挙げてきた。
 しかし、市の財政を圧迫してきた原因が、上頓野産業団地の造成計画と、前市長時代の土地買収にあったことは疑う余地もない。
 前・現の市長は、一連の事業の経緯について説明責任を負っているはずだ。



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