政治・行政の調査報道サイト|HUNTER(ハンター)

政治行政社会論運営団体
社会

転々とした土地所有権
-直方市 上頓野産業団地を追って(4)-

2012年9月 7日 07:50

直方市役所 直方市が開発した上頓野産業団地は、平成8年に市土地開発公社が市内上頓野地区に約90ヘクタールもの土地を購入したことが発端となって誕生した造成地だ。
 はじめに土地ありきだったことが、HUNTERの取材でも明らかとなっているが、直方市の財政を圧迫する同事業の裏を知る市民は少ない。
 なぜ直方市はかかる広大な土地を買わなければならなかったのだろう?
 その疑問を解くために、まずは問題の土地の動きから検証する。

(写真は直方市役所)

唐突な土地取得
 gennpatu 1864410603.jpg直方市土地開発公社による土地の購入は、平成8年に始まっている。同年8月の直方市議会で市執行部側が予算に関する説明をした記録が残されているが、そこにはこうある。(右がその議事録の一部。赤いアンダーラインはHUNTER編集部)

《産業業務用地及び自然環境保全用地等の土地購入費につきまして・・・中略・・・約90万平方米余りの土地の購入を開発公社に委託・・・中略・・・計画的な土地利用を進め、この地域の秩序ある整備を図るために、今回この土地を購入しようとするものでございます》。

 土地購入の段階では、その目的を産業業務用、自然環境保全用としてはいるが、産業団地を造成するとは明言されておらず、具体的計画は無きに等しい。《既に幾つかの計画が挙がっております》とあるが、これが何を意味しているのかを示した記述はない。
 この説明の後、土地購入費について触れているが、そこでは未確定用地も含め《8億から9億以内》としており、目的もないまま唐突に土地買収の手続きだけが先行していたことがうかがえる。

土地所有権が転々
 gennpatu 1864410598.jpgのサムネール画像問題の上頓野産業団地一帯の土地は、昭和25年ごろから「藤田丸開拓農業協同組合」によって開かれたという歴史を持つ。
 産業団地への入り口近くには「開拓記念碑」が建てられており、元組合長の業績を称える碑文も残されている(右の写真参照)。

 状況に変化が現れたのは昭和40年代で、個々の土地所有者に対し、企業が土地買収を持ちかけて回ったという。
 一帯の土地は、順次買収されていき、最終的に最大の土地所有権者となったのが平成8年当時、大阪市に本社を置いていた「金剛開発株式会社」だった。

 直方市および直方市土地開発公社への情報公開請求によって入手した文書によれば、同社および同社関係者3人の名義となっていた土地は、246筆・91万4,674.91m2。公社が買収した土地は約94万5,000m2であることから、問題の土地のほとんどは金剛開発のものだったことになる。

 下の「概況図」(赤い書き込みはHUNTER編集部)を見ると、買収予定地が金剛山の麓に位置し、上頓野産業団地がかつては金剛山産業団地と呼称されていた理由が分かるが、金剛開発はどうやってこれだけの広大な土地を手に入れたのだろう。

gennpatu 1864410605.jpg

 じつは、一帯の土地が金剛開発の所有になるまでに、所有権者が度々変わっていたことが、主な土地の古い登記簿の記載から分かっている。
 むろん、最初の所有権者は土地を開拓した地元の人間だが、昭和40年代後半から、次の順番で所有権者が変わっていた。
直方観光開発株式会社」→「川商不動産株式会社」→「金剛開発株式会社」の順である。

川鉄商事の影
直方観光開発(株) それぞれの会社について確認したところ、直方観光開発株式会社は本社を直方市内に置くレジャー関連企業で、数年前まで同市内でレジャー施設を運営していたことが分かっている。
 現在、同施設は閉鎖されており、隣接する本社とされる住所にも人影はなかった(右の写真参照)。現在の営業実態は不明である。

 次に、企業としては二番目の所有権者となった「川商不動産株式会社」だが、こちらはやや複雑だ。
 同社は旧川崎製鉄系の商事会社「川鉄商事」の関連会社だった。
 平成15年に、川崎製鉄(川鉄)と日本鋼管 (NKK) が統合してJFEスチールとなったのだが、川鉄商事は平成16年にJFE商事と社名を変えている。
 川商不動産自体は、こうした動きに先立つ形で平成14年に解散していた。

 川商不動産が問題の土地の所有権者だったのは、昭和50年から同62年までで、その後、売買の形で金剛開発に所有権が移されている。

 話が前後してしまうが、直方観光開発が土地の主有権者だったのはわずか2年だ。
しかも、同社が元の持ち主から物権を取得した数日後には、いずれのケースでも億単位の根抵当権が設定されていた。根抵当権者は川商不動産である。
 つまり、直方観光開発の土地取得費は、川商不動産から出ていた可能性が高いということだ。ダミー会社を使った土地の買占めであり、背後にちらつくのは「川鉄商事」の影だ。

 一連の土地所有権の動きは、なぜ直方市が不必要な土地を急いで取得したのかという謎を解くため、最後の土地所有権者となった金剛開発を追う中で判明したものだ。
 その金剛開発は、直方市上頓野の約90ヘクタールの土地を同市土地開発公社に売却した3年後の平成11年に会社を解散していた。
 HUNTERは、当時の話を聞くため同社の元役員を訪ね歩くことになるが、その住所が関西から関東に点在している上、転居したケースもあって取材は難航した。

つづく



【関連記事】
ワンショット
 永田町にある議員会館の地下売店には、歴代首相の似顔絵が入...
過去のワンショットはこちら▼
調査報道サイト ハンター
ページの一番上に戻る▲