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野党議員を罵倒 ― 自衛官の暴走と重なる戦前

2018年4月23日 08:30

0423_jieitai.jpg 現職の自衛官が、国会前で民進党の小西洋之参院議員を「お前は国民の敵だ」「お前の国会の活動は気持ち悪い」などと、繰り返し罵倒する“事件”が起きた。
 暴言を浴びせたのは、統合幕僚監部指揮通信システム部に勤務していた30代の3等空佐。小西議員が国会で日報問題などを追及し、安倍内閣の総辞職を要求していたことに対する腹いせだったという。
 防衛省は処分するとしているが、「ごめんなさい」で済む話ではない。この国では戦前、軍部が政治を力で押さえつけた結果、国家を崩壊させる寸前にまで追い込んだ歴史がある。

◆腹切り問答
 昭和12年(1937年)の帝国議会。政友会の浜田国松衆議院議員が、前年(昭和11年)に起きた「2.26事件」以降、露骨に政治介入するようになった軍部の姿勢を厳しく批判する演説を行った。議場の寺内寿一陸軍大臣は、「軍への侮辱」と激しく反発。これを受けた浜田は「速記録を調べて私が軍を侮辱する言葉があるなら割腹して君に謝罪する。なかったら君が割腹せよ」と寺内に迫った。

 面子を失う形となった寺内は、政党への反省を求めるとして帝国議会の解散を要求。受け入れなければ陸相を辞任すると広田弘毅首相を脅し、窮した広田は閣内不一致を理由に総辞職する。軍部が政党政治を捻じ伏せる嚆矢となった政変を経て、この年、日本は泥沼の日中戦争へと突入することになる。

◆「黙れ」事件
 昭和13年(1938年)には、陸軍の軍務課国内班長だった佐藤賢了が、国家総動員法の説明中に延々と自説を披露。発言を止めるよう求める国会議員らの声に、「黙れ!」と一喝して、委員会室を去るという事件を起こす。この時の佐藤は一介の中佐。将官でもない軍人が政党人を国会で愚弄するという暴挙だったが処分もされず、同年5月には国家総動員法が施行された。

 政党の無力化は進み、昭和15年(1940年)10月にはすべての政党が解散。御用結社「大政翼賛会」が発足して、日本は翌16年(1941年)12月の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争へと突き進むことになる。ちなみに、政党人が矜持を示した事例として憲政史に残る「粛軍演説」(昭和11年)「反軍演説」(同15年)で知られる斎藤隆夫は、大政翼賛会が結成された昭和15年の3月に衆議院を除名されている。斎藤除名に動いたのは、政党政治家の同僚たちだった。政治が軍部に軽んじられた歴史をたどれば、戦争と敗戦の原因が見えてくる。

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◆重なる「戦前」 元凶は……
 稲田朋美前防衛相が国会で「ない」と明言した陸上自衛隊イラク派遣隊の『日報』も、南スーダンPKO部隊の『日報』も見つかった。陸自は、日報の存在を確認してから1年間、大臣にも報告せず、組織内で隠ぺいしていたという。シビリアンコントロール(文民統制)が機能しているとは思えない。

 前述した「黙れ」事件の佐藤賢了は、当時“中佐”だ。国会前で民進党議員を罵倒したのは3佐で、旧軍の少佐にあたる。佐官級の軍人が、国会や政治家を軽んじ、力で黙らせようとする構図が重なる。シビリアンコントロールの危機というより、“崩壊”というべき現状――。「安倍一強」が「安倍翼賛」と同義であることに、日本人は気付くべきである。

 平成27年(2015年)、安倍政権は防衛省設置法を強引に改正した。この改正のポイントは、制服組と背広組の関係の見直し。「背広組」と呼ばれる文民と、「制服組」と呼ばれる自衛官が対等に防衛大臣を補佐することを柱としたものだった。つまりは「文民統制の撤廃」だ。この国を歪めつつある元凶が、安倍晋三という希代の戦争好きであることは間違いあるまい。



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